順番が違う(話題2)

 今朝の朝日新聞1面に「厚労省、講堂解放」の見出しが躍った。日比谷公園に集結していた労働者たちを厚生労働省が、省内の施設を緊急避難所として解放したんだとさ。
 確かに路頭に迷っている人々を救うことは重要なことだ。たまたまそこに集まってきたからといって、中枢機関が霞が関でやるべきことなのだろうか。コラムニストの勝谷誠彦さんも、そのあたりを危惧して、「本来は自治体でやるべきことではないのか」と言われている。ワシャも当初はそう思った。派遣切りの憂き目にあっている人は多く地域にいる。その地域で「避難所」を立ち上げればいいのだ。各自治体には地域防災計画があり、必ずその中には「避難所」について書かれている。これを準用すればいい。そうすれば市営住宅や県営住宅を開放しなくても済む話だ。地域地域で公立の体育館、公民館を1つ開ければいい。
 でもね、今は少し違うことを考えている。派遣切りが起こった根本原因はなにか、ということである。大元を考えれば、大企業が自社の被害を最小限に留めようとして、その調整弁である派遣を切ってきたということではないか。つまり第一原因者は大企業なのである。だったらさ、それぞれの企業が持っている福利厚生施設を開放するのがまず最初ではないか。各企業の内部留保はうなっている。体育館を路頭に迷っている労働者たちに使わせたってどれほどの出費にもなりはすまい。少しは社会的な責任を負ったらどうなんだ。
 ネグラを提供するなどという瑣末なことを努力すべきは、まずは派遣切りをした大企業、その次が自治体、それでもどうしようもなければ国という順番である。霞が関はそんなことではなく労働政策をどうすべきか、というところに力を尽くさねばならないと思っている。
 大晦日の夜の「朝まで生テレビ!」で厚労省の大村副大臣が、NPO法人「もやい」の湯浅誠事務局長に食いつかれていた。あるいは番組終了後の食事会で、講堂の開放を湯浅氏から持ち掛けられたかにゃ。
 繰り返す。路頭に迷う人たちを救済するということは大切である。しかし、国家の中枢がごくわずかな人のごり押しに屈するべきではない。システムが違うのだ。厚功省は東京都かあるいは23区に「避難所の提供」を依頼するべきだった。
 それにしてもこれだけ大変なことになっているというのに、沈黙を守っている大企業というのはホントに薄情だね。金を拝むことしかできないのかね。
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