禁煙について

 ワシャはタバコを吸わない。禁煙したのが平成4年だからかれこれ14年吸っていないことになる。
 今朝の朝日新聞で『禁煙ファシズムと戦う』の著者小谷野敦氏が吠えていた。「排ガスはよくてたばこの煙はいけない、というのはおかしい」「アルコール依存症はよくてニコチン依存症はいけない、というのはへんだ」「喫煙がそんなによくないというなら大麻覚醒剤と同じように非合法化しろ」
 確かに小谷野氏の言うとおり、最近の禁煙運動はヒステリックだ。全面禁煙、吸うか吸わないか1or0の判断になってきている。これってやっぱり『禁煙ファシズム』だよね。
 ワシャの家は基本的に禁煙ではない。家族で誰もタバコを吸わないけれど、喫煙者の友人が来れば灰皿を出す。居間での喫煙は基本的に自由だ。換気を十分にしている部屋での喫煙をそんなに危険なものだとは思っていない。かつてワシャが喫煙者だったころに「この部屋では吸わないでくれ」と言った友人のけちくさい表情を未だに思い出せる。「ああはなりたくない」と思っている。
 脚本家の倉本聰さんは静かに言っている。
《最近僕の周辺に、中高年で禁煙し、突然アルツハイマーが発症した事例がいくつかあった。七十を越えた友人は、禁煙して間もなく自分の家が判らなくなり、何度も警察の世話になっている。ある名医はこう言った。肺癌をとるかアルツハイマーをとるか、どっちかに決めなさい。》
 実はこの話、ワシャにも思い当たる節がある。喫煙しているときには大して気にならなかったのだが、禁煙してから急速にメンタルな部分が脆弱になってきたのである。喫煙は間違いなく小さなストレスを消してくれていたのだ。だからストレスが大きく育たなかった。それが今は消せないのでいくつもの大型ストレスを抱える羽目に陥っている。「精神衛生をとるか肺癌のリスクをとるか」ということなんでしょうね。
 ここまで禁煙していれば、もう喫煙者に戻ることはないと思うけど、でもやっぱりヒステリックな禁煙教の信者は嫌いだ。そして同様に傍若無人なマナー無視の喫煙者も大嫌いだ。喫煙者は弁えを知り、禁煙者は冷静になろうよ。