嗚呼、貴ノ花

 書庫をあさっていたら「大相撲 昭和51年春場所展望号」が出てきた。表紙は肉々しい横綱北の湖で、大相撲人気華やかなりし時代のモノである。
 この中に30日にお亡くなりになられた二子山親方(元大関貴ノ花)の記事が幾つかあった。カラーのページには、福祉相撲のスナップ写真が載っている。チビッコ力士と取り組む横綱輪島の姿を笑顔の貴ノ花が角俵にかがんで観戦しているというもの。また白黒のページには「さあこい!」とタイトルがつけられ、今まさに立会い一番突っ込んでいく貴ノ花の勇姿が大きく写っている。もちろん現役の時だから若くたくましい。力士写真名鑑のページには北の湖、輪島、三重ノ海貴ノ花が蹲踞して塵を切った瞬間の写真が並べられているが。巨漢の三力士に比べて貴ノ花は顕かに細身で、この場所はとくに調子が悪かったのかあばらが浮いている。
 記事の中には北出清五郎の「貴ノ花の現状と見通し」というものがあって、「果たして貴ノ花横綱になれるか?」ということを師匠の二子山親方(初代若乃花)にインタビューしている。
北出「貴ノ花は去年2回優勝しているが横綱に結びつかない。この現状をどう見ます?」
二子山「心技体のどれをとっても横綱にあてはまるものがない。まず自分に勝つことだ。考え方を改めなければいけない」
 二子山、この後も「気持ちをスカーッとさせろ」とか「バカになれ」とか「線が細い」とか「体のことに神経質すぎる」とか「気持ちの上で病気に負けている」とか言いたい放題である。この親方、基本的に精神論しか言わない人か、あるいは自分の経験則でしか判断しない人だな。この親方の下では貴ノ花横綱にはなれなくて当然だ。
 貴ノ花は誰がなんと言おうとも間違いなく昭和の名大関、名力士である。彼のあの体格、体調で大関を50場所も張りつづけた。在位は歴代1位であり、これは金字塔と言っていい。
 貧弱な体で土俵を湧かせ続けた男は、ある意味で兄よりも土俵の鬼であったといえるのではないか。
 朝日新聞の社会面では「悲運の力士」と決めつけ、「辛抱して、我慢して『楽しいとき』を2年として味わうことなく、親方は逝った。」と結んでいる。馬鹿言ってるんじゃないよ。勝負師として大関を極め、指導者として横綱2人、大関1人、その他名力士をあまた育てたのである。こんな幸運な人はいない。
 ただ漠然と生きた100年より鮮明な主題のもとに生き貫いた50年のほうが遥かに有意義で充実しているとワシャは考える。