災害後の惨状

 昨日、発売の「週刊新潮」のモノクロページに悲しいが静かな1枚の写真がある。地震発生から2日後の仙台市荒浜地区あたりか。
 写真は見開きで、遠きに松林が見えているからその方向が海なのだろう。手前はがれきの山だ。その瓦礫の上に老人があおむけに寝ている。口のところに紐が、目のあたりに海藻が絡まっていなければ、疲れて眠っているようにも見える。
 もちろんこの方は津波の被害者で、死者である。はだしの足や、ぎゅっと握りしめられている手につやある。洗い清められたようにきれいなのだ。
 現場に入れないので、これは想像なのだが、おそらくこの写真をとったところは、静かだったに違いない。多分、耳に伝わってくるのは風の音ばかりであったろう。

 こちらをご覧ください。
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110314k0000m040042000c.html
無数の黒い大蛇が防波堤を越えて車を呑みこんでいく。生半可な災害ではない。この大自然の猛威の前には人間が築いてきたものなど、どれほどの役に立つのだろう。「週刊新潮」の記事によれば宮古市田老のスーパー堤防(高さ10m)は、あっけなく大津波の前に敗退した。津波がいかに恐ろしい災害かということを、改めて知らされた。

 被災地から、津波を生き延びた方々の証言が入っている。
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103120359.html
 どの方も九死に一生を得ている。良かった。しかし、どの証言を聴いても、生と死は紙一重だったようだ。咄嗟の状況判断が明暗を分けるのだろうが、なかなか瞬時に右か左かを判断できるものではない。