熊の話

隠居「おいおい、そこに酔いたおれているのはだれだい?……なんだ。熊さんじゃないか……おい、おい、熊さん、熊さん」
熊「ええっ、なんだ?……熊さん、熊さんて、おれをゆすぶるなあだれだ?」

 大工としての腕はいいんだが酒にだらしのない熊五郎が、酒がもとでカミさんと子どもを捨て、やがて反省して復縁をするという人情落語の名作「子別れ」の冒頭部分ですな。
 おっと、熊の話と言っても熊五郎の話ではないんですよ。

 先日、ツキノワグマの専門家の話を聴く機会があった。9月19日に乗鞍スカイラインの畳平駐車場(標高2702m)で山から下りてきた野生のツキノワグマが次々と人を襲い、最終的に射殺されたあの事件についてどうしても聴きたいことがあった。
隠居「クマというのは恐ろしい動物ですな」
クマ専門家(以下「クマ」と略す)「いやいやクマという動物はとても大人しい動物です。そして頭のいい動物です。クマは犬を賢くして、我慢強くしたものと考えればいいでしょう。例えば『熊』という字がありますが、『能力のある四足』と書くでしょ」
隠居「なるほど、でも乗鞍では人を襲いましたね」
クマ「いろいろとそのときの状況を確認してみましたが、どうも最初に手を出したのは人間の方だったようです」
隠居「ほお……」
クマ「3000回くらい山中でクマにであった方の話ですが、クマはとても気の小さい動物なんだそうです。山道でばったり出くわしたときなんかも、ゆっくりと後ずさってある一定の距離を置いて、クマに背を向けて大声で歌を歌うんだそうです。そうするとクマは来た道を引っ返すか、コースを離れて藪の中に消えるか、歌を歌っている人の後ろを遠慮がちに通り過ぎていくそうです」
隠居「なるほど」
クマ「昔は標高800mくらいを境にして『入らずの森』というものがあった。ここからは神様や野生動物の領域というものがあって、人間と動物の棲み分けが出来ていた」
隠居「そうすると2700mなんざぁ、人が入るべきエリアではないということでやんすね」
クマ「まぁ昔ならクマの楽園なんでしょうね」
隠居「後から大きな顔して人間がどかどかとやって来て、挙げ句の果てに射殺されたんじゃたまったもんじゃないですな」
クマ「クマもクマったもんだと言っていました」
 おあとがよろしいようで。