乳母日傘に国政を任せられるか その3

(上から続く)
 ワシャはジャーナリストの日垣隆さんやコラムニストの勝谷誠彦さんに、まず物事を疑ってみるということを教えてもらった。だから、ワシャは上記のことなどを含めて物事を疑ってかかることにしている。疑ってみるとぼんやりとだが本質が見えてくることがある。
 ところが河野洋平さんたちは、疑うということを知らない脳天気な世襲議員なので、彼の国の意のままに操られている。河野洋平さんたちは、中国のくぐつになっていることに気づかない。自分たちの言動、行動は自分自身が主体的にやっているものだと信じて疑わないのである。いかにも自分たちが考えたことのように「アジアの安心と信頼を得るために謝罪する」などと得々と発言しているが、すべてはあっちの国の偉い人に糸を握られ、あっちの都合のいいことを話すように操られているだけなんですね。

 国際教養大学学長の中嶋峯雄先生は言う。
《今日の中国に見られる人民解放軍武装警察部隊・公安警察という三重の暴力装置もとでウイグル族の分離・独立運動の前途は厳しく険しいと言わざるを得ない。》
 う〜む、言論の自由もない民主主義もない国では、ウイグルチベットの自由は叶わぬ夢なのだろうか。
 先生は続ける。
《今回の暴動で中国人が鎌(かま)や鋤(すき)を手に手にウイグル族を襲っている光景も伝えられたが、これなどは中国社会の内部に今日まで潜在してきた村落間の武闘である「械闘(かいとう)」を思わせた。》
 械闘というのは、中国で、部落間・宗族間の利害の対立から発生する武装闘争のことで、清の時代に全土で勃発した暴力行為。日本でいうなら江戸期の水争いのような暴力沙汰と考えればいい。
 そんな私闘が、21世紀になっても繰り広げられている社会ってどうなの?と先生は懸念する。(詳細はこちら)
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090724/chn0907240335000-n1.htm

 こんな未熟な国に――いくら国際経済のためとはいえ――国際社会が阿っているばかりではいけない。
(下に続く)