世襲を考える

 愛知県の知多半島に誠実な政治家がいた。名前を久野統一郎という。1990年、衆議院議員だった父忠治の地盤看板鞄をそのまま引き継いで二世議員として初当選する。それから10年、久野さんは「代議士」というピエロを演じ続ける。しかし、ごく普通の神経しか持ち合わせていない彼には「痩せると貧相になって票が逃げるからダイエットはするな」とか「一票を入れてくれるならヘチマにでも頭を下げろ」という理屈がまかり通る異常な世界は合っていなかった。
 普通の人が、普通に判断して「次期総選挙には出馬しない」と、当時の自民党小渕派の事務総長保利耕輔二世議員)に伝えると、「そんなことは認めんぞ!」と激怒される。その後、大物議員の村岡兼造にもぶち怒られる。このとき久野さんは63歳である。一般社会であれば、大学を出てから40年を働き功成り名を遂げた大人が、自分の出処進退で誰からも罵声など浴びせられるものではない。でも、一般常識が通らない世界では、誠実な人物は苦労するんだね。
 久野さんが降りた総選挙に群馬5区から妙齢のお嬢さんが出馬する。小渕恵三の次女優子である。久野さんは、父親の弔い合戦に駆り出された優子に対して「可哀想な気がする」とその気持ちを吐露している。
田中真紀子のような、自分の言いたいことがはっきり言える人は向いているのだろうけれど、その点で優子さんはどうなのかな……」
 久野さんの心配は杞憂だった。普通の女性だった小渕優子は、永田町の魑魅魍魎の間で揉まれているうちに、自分の言いたいことがはっきりといえる田中真紀子になり、今や国務大臣様である。
 手元に一冊の本がある。小林照幸『政治家辞めます。』(毎日新聞社)という本だ。久野さんが政治家の道を歩み出して、永田町を去るまでの事跡が細かく綴ってある。巻末に印象的な写真が載っていたので紹介したい。写真は1990年2月13日に地元の愛知県で撮影されている。久野さんの出陣式である。大きなテントの下の舞台で久野さんがマイクを握っている。その後に久野さんの奥様が悲しげな表情を俯き加減にして立っている。そして二人の背後には胸にリボンをつけたお歴々がまるで監視をするようにぐるりと取り巻いている。その筆頭に座っているのは、今は亡き橋本龍太郎である。
 この10年後、久野さんは見事に体現してくれた。政治家というものは世襲するものではないということを……
 小泉純一郎の息子を始めとして、二世議員が目白押しだ。彼らはほぼ一般人の感覚を持ち合わせていない。そんな連中に国政を任せてこの国がうまく回るはずがないわさ。