どうも旧社会党系の議員は、秘書給与に関して脇が甘いなぁ。辻元の次は佐藤観樹だ。
佐藤は44年暮れの総選挙の際、父観次郎が倒れたために、跡を継ぐかたちで立候補した2世議員で、旧社会党中間派の勝間田派に属していた。思えばこの人、細川内閣で自治大臣をやったことくらいしか、印象にないよなぁ。内閣の集合写真で、細川首相の後ろに立って笑っていた頃が春だったのかもしれない。キャリアは長いし、年齢も62歳と若い(?)ので、バリバリ活躍してもよさそうなものだが、2世のあまえがでちゃったのか、前回の総選挙では、小選挙区で落選し、比例で辛うじて復活している。もちろん佐藤は、民主党である。しかし旧社会党の臭いを強く持った議員である。
平成元年に「月間社会党」400号記念のシンポジウムがあった。その中で東京大学名誉教授(当時は成蹊大学教授)の篠原一が次のように警告している。
「社会党と市民社会にもまだ距離や乖離といったものがあるのではないか。それをどのように埋めていくか。小手先だけではなく内的にどう埋めていくかということが大切だと思います」
辻元や佐藤の金銭感覚は一般市民のそれとは大きく乖離していたようだね。このシンポジウムに佐藤が参加していたかどうかは定かではないが、当時社会党の中堅議員として肩で風をきって歩いていたからには、当然、シンポジウムをまとめた「社会党の現在と未来」という新書くらいは読んでいるだろう。識者からの忠告を、残念ながら佐藤も土井たか子もきかなかった。だから現在の状況が生まれているといってもいい。
議席を一桁にまで減らした社民党は、ついに左党、完となるのである。ご愁傷様です。