ランボーは町から追い出された2

 2月28日、「鶴瓶の家族に乾杯」を見る。今日は鶴瓶錣山親方(元関脇寺尾)が、福島県相馬市を訪れた。
 鶴瓶は相変わらず「ここの人、ものすご人懐っこいんですよ」と、能天気に口走っている。あなたが有名人だから地元の人が群がっているだけですよ。
 市場で、ほっき貝やタコをご馳走になって、「いいご夫婦ですね」だと。その後、鶴瓶は商店街に繰り込み、道ゆく人をつかまえては、「人がいい、人懐っこい、やさしい」と、決まり文句を発するのみ。
「東北の人は明るいですね」なんでじゃ!「ここの子はあいさつするんですよ」どこの子でもあいさつするわい。
 後半、ついに鶴瓶の本領発揮だ。上がりこんだ家で老夫婦の「娘がタクシー会社にいる」という発言を聞き逃さず、母親にすぐ電話をかけるように要請し、介護タクシーごと娘を呼びつけてしまう。娘は仕事を中断され、気が動転しているのだが、鶴瓶でもあるし撮影クルーもいるので、笑顔を取り繕って、受け応えをしていた。そのぎこちなさを鶴瓶は、「俺(超有名人)に会って感激している」と、曲解し悦に入っている。鶴瓶は頭もいいし、人当たりもいいタレントである。落語家としては嫌いではない。だがこの番組の鶴瓶だけはいただけない。鶴瓶の、あるいはこの番組の根底にある「有名人が呼んだのだから来るのがあたりまえだ。大衆は有名人に会いたいはずだ」という驕った思想が鼻につく。
 番組の最後に、鶴瓶たちが出会った家族からのメッセージが紹介される。制作費を浮かせるため、翌日に撮影している。「昨日は楽しかった」「また着てくださいね」「うちのイチゴも食べて」などなど、鶴瓶たちを懐かしんでコメントするのだが、昨日の今日じゃないの、そんなことは昨日言えよ。あるいはもう少し思い出が醸成されてから撮影しろよ。作為的で臭みの強い番組だ。(ということで、この番組が楽しみだったりして)