ノーベル賞と職人

 名城大学の赤崎教授、名古屋大学の天野教授、カリフォルニア大学の中村教授のお三方が、青色LEDの開発によりノーベル賞を受賞した。めでたい。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141007-00000132-jij-soci
 赤崎教授が記者会見で、若者へのメッセージを聞かれて、こんなことを言っている。
「あまり偉そうなことは言えないが、はやりの研究にこだわらず、自分のやりたいことをやるのがいちばんだと思う。自分のやりたいことなら、なかなか結果が出なくても続けることができると思う」
 やりたいことを長く続けろと言われる。う〜む、名言だなぁ。
 その人の筆頭弟子である天野教授は、赤崎研究室で青色LEDを30年以上にわたって研究してきたわけだ。人生の活性期すべて青色LEDに費やしてきたといっても過言ではない。今日の朝日新聞には《研究漬け「364日大学にいる」》と書いてあった。天野教授の研究態度も赤崎教授の言っていることそのままである。
 社会面には、中村教授の恩師である徳島大学の多田修名誉教授の話も載っていた。
 多田さんは学生時代の中村さんに「難しい本を読む時間があったら手を使って物を作れ」と指導してきたそうだ。多田さんは「私は研究者というより職人で、彼のやりたいこととは真逆だった。でも今回彼は職人として評価された。少しは私の教えも役に立ったのかな」と話している。

 今、福田恒存『保守とは何か』(文春文藝ライブラリー)を読んでいる。その中に「伝統技術保護に関し首相に訴ふ」という章がある。その中で福田さんは、当時の佐藤首相にこう訴えている。
《ダムの設計者や癌の研究者を職人より有意義な職業と思つておいででせうか。大工や左官の名人をノーベル賞の物理学者より低級とはまさかお思ひになつてはをりますまいね。》
 福田さんは、何人かの名人と呼ばれる職人を挙げて、この人たちのもつ技術が失われていくのは歴史を失っていくのと同じだと嘆いている。例えば蒔絵の技術は天平から昭和に至るまで千年余の技法が、高野松山(しょうざん)という職人の腕に残っていた。しかしその名人も今は鬼籍にはいった。連綿と続いた伝統技術はこの世界から消えたといっていい。
《高野氏が活きてゐても、》福田氏がこの論文を書かれたときはご健在だった。《年々それは亡びつつある。氏の言葉通り、木地造りの職人がゐなくなった。高級な漆は手に入らなくなった。筆造りの職人も無くなろうとしてゐる。》
 蒔絵一つを造るにしても、多くの熟練した職人の集合体の存在が必要なのである。残念ながら昭和41年の段階でも、そのシステムは崩壊の危機にあり、福田さんが憂いていたわけだが、それから半世紀を経て、伝統技術というものが、はたして生き残っているのだろうか。
 だが今回のノーベル賞のニュースを聞いて、福田さんが地位の高低の比較で出されたノーベル物理学者の中に、日本人の職人の魂のようなものが保守されているような……そんな思いがした。

 福田さんがこの論文のベースにしたのが、職人からの聞き書き集の斎藤隆介『職人衆昔ばなし』(岩崎書店)である。これがまたおもしろい。いい本に出会うと次から次へといい本に巡りあえるなぁ(喜)。