新帝国主義の時代(後編)その1

(昨日から続く)
広辞苑』で「帝国主義」を引いてごらんなさいよ。《軍事上・経済上、他国または後進の民族を征服して大国家を建設しようとする傾向》と書いてある。まさに、現在の中国の目指しているものが、帝国主義以外のなにものであろうか。
 すでにチベットウイグル中華帝国主義に呑みこまれてしまった。だから、全体主義を「是」としないダライ・ラマ師やラビア・カーディルさんが苦労しておられるのだ。苦労しておられるのだが、すでにお二人が希求する祖国はもうない。
 それは、他所の話ではない。次は台湾であり、沖縄であり、日本なのである。「台湾、沖縄はあるかもしれないが、日本が併呑されるわけないじゃないか」と思われるかもしれないが、中国から見れば、日本など台湾と大差のない小国なのである。それも根性のない卑屈な国でしかない。
帝国主義の時代に戻りつつある」という雰囲気が、皮膚感覚として理解できないと、今、日本が陥っている窮地には気がつくめい。

 18世紀末、林子平が『海国兵談』を著した。ロシア南下の報に接し、海国日本の海防がきわめて不十分であると指摘した最初の書である。結局、「奇怪異説」であると断じられ本の版木を没収、本人は仙台に蟄居の憂き目にあい不遇のうちに55歳の人生を閉じた。『海国兵談』は1000部を刷る予定であったが、38部を出版しただけで終わった。幕府を始め誰も北方の脅威など、意識の外だったに違いない。『海国兵談』は、有名な「細かに思へば、江戸の日本橋より唐・阿蘭陀まで、境なしの水路なり」という警句をもって、江戸湾に異国船の侵入する可能性を指摘していた。その62年後、黒船が江戸湾に出現したのである。その後の日本の大混乱は周知のとおりであり、62年の惰眠ゆえに、この後、欧米列強に伍するためにどれほどの血をながさなければならなかったか。
(下に続く)