老公務員

 馴染みの居酒屋でときおり顔を見るオジさんがいる。その人はいつも一人で店に現れてカウンターに座ると黙って酒を酌んでいた。
 先日、その人とたまたまカウンターで隣同士になった。ワシャはツレと待ち合わせをしていたのだが、飛び込みの仕事が入ったとかで「少し遅れる」と携帯にメールが入った。ワシャは一人で黙って酒を飲むという芸当ができないので、隣のオジさんに声をかけて他愛もない話を始める。話をしてみるとオジさん、饒舌だった。
「あたしは今年で59歳になるんですよ」
 いやぁけっこうお若いですぞ。
「まだ、定年退職までは1年余あるんですがね……」
 1年余、という言い方がいかにも公務員ですね。
「それでもねこの3月で退職するんです」
 えっ、1年を残して依願退職ですか。
「別に家庭的な事情があるということではないんです」
 ほう。
「息子の横屋を増築したばかりで蓄えも使いきってしまった。だから最後まで勤めたいんですが……」
 そのほうがいいでしょう。
「私ね、こう見えても気が小さいんです」
 そう見えます。
「最近は市民が強くなっていつも窓口でしかられてばっかりだし」
 そりゃぁお気の毒。
「IT化とかいってパソコンだ、メールだ、システムだ、と若手からも責められましてね。そのストレスで円形脱毛になってしまいました」
 あらららら。
「こんなはずじゃなかったんですけどね」
 でも、ものは考えようで、1年早く自由になれるんですよ、今からオジさんの第二の人生が始まると思えば……
「辞めたってすることがなくってね」
 ご趣味は?
「とくにないですねぇ……何かを始めようという気力もないですし」
 オジさん、とてもネガティブだった。
 ツレが来たのを潮に、オジさんに礼を言って座敷に席を移す。オジさん、それから30分ほど一人で飲んでいたが、いつのまにか居なくなっていた。