1714年の3月5日、大奥年寄の絵島が信州高遠に流罪となった。徳川実紀には、彼女の罪状が縷縷述べられている。「この日女房絵島遠謫(えんたく)せらる。これは後閣にておもたゞしき職つかふまつりながら。身の行ひたゞしからず」で始まり、遊業にふけり、ゆ…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。