次回の定例読書会の課題図書が、原彬久『岸信介』(岩波新書)なので、ちょっと岸信介のことをおさらいしている。元々歴代の中では好きな首相である。理想主義者でありながら現実主義者で、行動的なのだが軽率なところがない。さっぱりとした性格で覚悟を決めるのも早かった。
有名な話だが、昭和35年6月、新安保条約が自然成立する前夜に33万人のデモが国会周辺を包囲し、首相官邸に押し寄せようとしていた。その時、首相官邸を警備する警視総監からは「一刻も早くお逃げください」と岸首相を急かしたという。これに対し岸首相は「オレはここにいる、ここで死ぬよりほかにないじゃないか」と答えたという。同席していた大臣たちには「それぞれ責任をもつ役所があるから、皆さんはお帰りなさい」と促した。そうしたらみんな帰っちゃった(逃げちゃった)んだとさ(笑)。
ところがどっこい、弟の佐藤栄作だけはそこに残り「兄さん、ここで一緒に死のうじゃないか」と言う。ううむ、この兄弟、やはり只者ではない。
結局、バカの集まりだったデモの連中は、首相官邸を襲撃せずに終わったのだが、ここに参加していた労働者、学生などに「安保って何?」と問いかけると、「そんなもの知らない!」と大見得を切ってデモをしていたそうな。「安保」を知らずしてデモをしているって完全にアホでしょ。このデモ隊のDNAが辺野古の事故を起こした活動家につながっていることは間違いない。
岸信介の凄さは並み居る政治家たちに大きく水を空けている。比較するのも岸に失礼な話だが、同じ首相としてゲルゲ~ル石破との差はいかばかりであろうか。もう手遅れだとは思うが、岸信介の一生を読み直してみろよ。
岸信介、東京帝大を卒業し官僚なる。その時期にロンドンをはじめ欧州を半年にわたって歴訪する。さらに満州国建国に深く関わり、40歳で満洲に渡る。その後、精力的に支那各地を視察し、帰国して東條内閣で政治家でもないのに商工大臣に就任する。
この結果、戦犯とされ巣鴨プリズンに収監されてしまう。そして3年余、刑務所暮らしとなるのだが、今の快適な刑務所とはわけが違っていた。『岸信介』(岩波新書)にも記載があるけれど、敗戦国とはいえ高位高官にあった収監者に対して「暴虐」と言っていい仕打ちをGHQから受けている。岸は、猿股まで取り上げられた。本から引く。
《裸体検査も(昭和21年11月)以後頻繁に行われた。寝衣やマクラを奪われ、読み掛けの本を取り上げられ、(刑務所内を)散歩中に室内の所持品を持ち去られ、便所の落とし紙の配給を停止されるというありさま》
岸はこれに2年余も耐え抜いた。
申し訳ないが、官僚の息子としてのうのうと東京でお育ちになって、ゲルゲール、オヤジのコネで銀行に入社したものの、そこを4年で辞めて、政治家に転身をする。4年では銀行の仕事もよく解らないでしょう。なにも身につかないまま政治家になって、それから40年も政治家を続けておられるんですが、果たしてなにをやってきたことか(溜息)。
それに比べて、岸信介である。東大在学中23歳で大川周明、北一輝(この人がワシャは好きなんですがね)と政治結社結成。その後、官僚になって大活躍し、東條内閣で45歳の商工大臣になる。それが罪に問われ、戦後に49歳で刑務所入り。出所が52歳、公職追放解除が56歳。57歳で自由党に入党して、衆議院議員に初当選。58歳で党幹事長、61歳で内閣総理大臣となっている。そこから馬車馬のように走って走って日本のベースを造り上げていった。
歴代の中でも傑出した首相と言っていい。