遊びをせんとや生まれけむ

 昨日の朝日新聞1面の哲学者鷲田清一「折々のことば」から。

《人間は、死と不幸と無知とを癒すことができなかったので、幸福になるために、それらのことについて考えないことにした》

 これは、『パンセ』の「第2章 神なき人間の惨めさ」の断章168にある。「人間は考える葦である」で有名なパスカルの著書で、「葦」のほうは「第6章」の断章347にある。

 以下は解説の鷲田清一氏の文章。

《人は根本からして、自らの努力では克服できない惨めで虚しい存在条件の中にあるので、安楽でありたければそれを直視せず、つねに気を紛らせている必要があると》

 ワシャの心に引っ掛かったのはここから。

《遊興にかぎらず多忙な公務ですら、己の惨めさに向きあわずにすませる「気ばらし」なのだと。》

 ふうむ、確かに・・・。ワシャは基本的に遊興というものがあまり得意ではない。博打はしないし、ネーチャンのところにも通わないし。せいぜい気の置けない仲間と酒席を共にするくらいが遊興かなぁ。

 だから「公務」を気ばらしにしていたと言われると、そのとおりのような気がする。若い頃に、周辺にある5つの会社の企画部門の若手が集められる会合があった。仕事である。もちろんマジメにやりましたがな。でもね、それをパスカルの言うとおり「気ばらし」にも使ったんでゲス。未だにその時のメンバーと美味しいお酒をいただいております(笑)。

 ワシャが凸凹商事で見ている限りでは、「仕事」を気ばらしにして楽しんでいるヤツのほうが仕事ができた。仕事を他から押し付けられたものと感じることは、健全ではなく、能動的にやっていくことが面白さを生むコツだと思います。

「死と不幸と無知を考えるな」とパスカルは言う。でもね、凡夫ワルシャワは、その「惨めさ」すべてを考えちまうんですよ(泣)。

 第2章の末尾にパスカルはこんな言葉を置いている。

《われわれは絶壁が見えないようにするために、何か目をさえぎるものを前方においた後、安心して絶望のほうへ走っているのである。》

 パスカル、難しいですね(笑)。