今朝の朝日新聞。直木賞作家がオピニオン欄に寄稿している。「自分第一の大統領 威勢良い放言の首相 世界は〈暴君〉ばかり」と題し4000字を書いているが、内容は題以上のことはなく読むまでもない。それにネット上では朝日新聞紙はこの記事を有料にしているから読めないしね(蔑)。
ワシャが要約します。
【起】の前半で、人生のネガティブなことを並べてくる。ここでワシャは読む気を無くす。けれど頑張る。この部分(270字余)をまとめると「人生は大変だ。だからゲームやスポーツ、ドラマやSNSにはまっている連中は大きな声のポピュリストに騙され翻弄される」と庶民をバカにしているだけ。
こいつ、上から目線だねぇ。そりゃそうか、テメエは直木賞作家様だからね。庶民とは違って人生の成功者だから、直木賞をとれない庶民なんぞ愚民だと思っている。
【起】の後半では〈暴君〉を列記する。歴史上ではローマ時代の皇帝ネロとヒトラー、現在ではユンソンニョル、プーチン、ネタニヤフ、習近平、トランプを並べて〈暴君〉と言う。これで430字。いちいち指摘はしないが文章に無駄が多くまとまりがなく下手だ。
【承】の後半はこの作家が〈日本の暴君〉とする人物を俎上に上げる。高市首相である。「艦上でのぴょんぴょんイェーイは正視に耐えなかった」と書いている。
まず「艦上」ってどこかな?「横須賀米軍基地内の原子力空母」と書かなきゃ。みんながそれを知っていると思うのは作家の傲慢だ。私小説ならお好きなようにだが、新聞上では解りやすく書かないとダメだよ、と指導しておく(笑)。
少なくともワシャは、艦上での首相の元気な笑顔を見られてうれしかった。これで日米関係も安定するだろうと思ったしね。これを正視した国民は多かっただろう。正視せきないというひねくれ者は左巻きか媚中なんだろうね。ところがこの偏った作家はこう言うんです。
《あれを見たときは一日の活動をシャットダウンしたいと願った。》
願わなくとも、暇な作家なんだからどうぞ休んでください。さっさとシャットダウンすりゃいいじゃん。でも一日の活動はしているんだろ?適当に言葉を並べてるんじゃない。そしてこう続ける。
《大げさかもしれないが、私は自分の隠しておきたい恥部を満天下に晒したような倒錯した感覚にも陥っていた。》
はあ?
日本国民が首相として仰いでいる人物、それも8割の人が支持している高市首相に対して「恥部」という表現を使った。おい、高市首相はおまえの恥部ほど貧弱じゃない。もう少し直木賞作家なのだから言葉を選べよ。
そして【転】。作家が「恥部」を使った直後に《あの首相の姿、あれは日本人の姿だ》と断定する。
「高市の嫌いな僕らは恥部はないけれど、高市を支援する連中は高市と同様の恥部だ」と言っている。これに続けてこう書く。
《すべての宰相や政治の長は、その時々のその国の国民の姿なのだ。》
おいおい、盆暗岸田の時、ゲルゲ~ル石破の時の奴らの支持率知っているのか?むちゃくちゃ低迷していたぞ。ゲルゲ~ルがあの1年の「国民の姿だ」と言うのは、日本国民に極めて失礼だ。大多数の国民が背を向けていた。だから2つの国政選挙で大敗を喫したのである。
そして【転】の後半で、〈存立危機事態〉の発言を引っ張ってきて、「レッドラインを踏み越えた」と左巻き作家は言う。
一連の報道やSNS、国際情勢、高市首相の発言をちゃんと聴いて読んで見ているかニャ?小説家というのは己の書きたいことに埋没する種類の人なんだが、もう少し周囲を客観的に観察しようね。
高市首相の〈存立危機事態〉発言は北京ダック岡田との質疑応答の中で出てきたもので、全体の流れをしっかりと把握してからモノを書こうね、直木賞作家なんだから(笑)。
後日のNHKでの、北京ダック岡田と日本保守党事務総長とのやり取りも情報取りができていない。そのあたりまで検証していれば、こんなマヌケな論を全国紙で展開しなくて済んだのに。
マヌケは高市首相の発言を「放言」と決め付け《自身の支持基盤である右派勢力への目配り》だったという。いやいや、それがあるとしても媚中左巻き北京ダック岡田が執拗に質問したことに対しての誠実な答弁だった。
《脅してくる中国が悪い、質問した野党議員が悪いと責任転嫁する機運も広がった。》と直木さんは言うけれど、脅してくるヤツが悪いに決まっている。栃木の高校で1人の生徒を大勢で囲んで脅したという事件がありましたが、これは脅して殴って蹴ったガキが悪いよね。
ところが「脅され殴られ蹴られた生徒が悪い」と直木賞作家の真藤順丈氏は放言している。
この大作バ家は【結】でこんなことをほざく。
《暴君の正体が〈私たち〉である以上、私たちが私たちを超克するしかない》と。「超克」ですよ。「彫刻」じゃねーんですよ(笑)。さすが直木賞作家、教養がほとばしっていますなぁ(大爆笑)。
以下800字ほど、だらだらと説教めいたことが羅列されているが、人生経験の少ない40代の若者が何を偉そうに言っているのか。末尾の文章が意味不明だ。
《地味だが確実なあなたの一歩の先にしか、壁とも〈暴君〉とも決別を果たした地平は展(ひろ)がっていない。》
これで締められても何が言いたかったのかまったくわからない。とくに「展(ひろ)がっていない」の使い方だが、『広辞苑』には「展がる」はない。『漢辞海』にもないし、『日本国語大辞典』にも載ってねえんでヤンス。でも「展がる」を使って教養がほとばしっている。
昭和35年に直木賞をとった司馬遼太郎さん、その前後に小説ではない諸々の文章を残しておられる。その中に今日の直木賞作家の寄稿のように低レベルな偏った文章は存在しない。これは『司馬遼太郎が考えたこと』の第1巻、第2巻で確認した。直木賞を取れば「はいおしまい」ではない。そこからどう自分を練り上げていくかが問題だ。今回の寄稿は見なかったことにするから、司馬さんのような大作家になってほしいものだ。