午前中、所用で名古屋まで出張っていた。自宅にもどって遅い食事をとってパソコンの前に座ったら午後3時になろうとしている。午後5時過ぎにも人と会わなければならない。飲み会ではありませんぞ、念のため。
さて、サッサカサーと日記を書くのだった。まずネタである。あ、昨日の新聞にバカな女の話が載っていた。ワシャは新聞にも付箋を打つので、すぐに見つかった。社会面でも囲碁コーナーなどと同じ扱いの二線記事である。
ニュースキャスターだった安藤優子氏に「初の女性首相が誕生する意義」を聞いたんだとさ。ご苦労様。
どうでもいい質問に対し、どうでもいい答えが多い。とにかく政治、政界のことを知らないキャスター風情が、政治アナリストの真似をしようったってそんなに簡単なものじゃない。
安藤氏の答弁全部に意見を書くほど暇ではないので、1点だけ。「高市氏は選択的夫婦別姓の導入に慎重ですが?」という問いに対してこう述べている。
「選択的夫婦別姓の根幹は、自分が生きてきた個人の名前を名乗るか名乗らないかという権利を自分の手に握るという点だと捉えています」
はぁ?アホだねこいつ。先の国会の法務委員会で、これは「家族別姓・親子別姓」を進めるものだということが白日の下に晒された。
もう少し丁寧に言えば、日本の戸籍制度というものは優れたものであり、この戸籍のファミリー・ネームを守った上で、婚姻によって戸籍上の「氏」が変更になった場合にでも、社会生活上の不便が出ないようにしていく。いわゆる旧姓使用をできるだけ拡大することが重要で、これを進めていくことが求められている。
このオバハンは「自分が生きてきた個人の名前」を「権利」と決めて、頓珍漢なことを喚いているけれど、そんなものではないと思いますよ。
歴史上の人物を見てごらんなさいよ。徳川家康は、生まれた時に「松平竹千代」だった。元服して「松平次郎三郎元信」になる。桶狭間の3年後、「松平家康」と名乗った。さらにまた3年後、「徳川家康」に名前を変えている。
徳川300年を作り上げた家康ですら、名前を何度も何度もとっかえひっかえして使っている。一説に依れば「世良田」も名乗っていたようなので、名字だけでも3つ、名前も3つということ。
なにが言いたいかというと、このオバハンや左巻きの言っている「自分が生きてきた個人の名前」ってさ、例えば男と女が結婚する時にどちらの姓にするかで、「どちらにも権利がある。だから別姓だ」ではない。新婚夫婦はどれほど生きてきたんですか?家康ほどの波乱万丈の人生でしたか?おそらくまだ若いカップルの結婚までの人生は、家康と比べれば静かで穏やかな時間でしょ。
その家康ですら、名字なんかにこだわっていない。「松平」でも「世良田」でも「徳川」でもいい。
キャスターオバハンの言うとおりなら、家康はずっと「松平」を名乗るべきだった。だが家康は「権利だ~!」と騒ぐこともなく、むしろ「松平」にしろ「徳川」にしろ、そのファミリーネームを拡大し、後世に伝えていくことこそが、もっとも大切なことだと考えた。だから天下を取ったのである。
いかん、3時40分をまわってしまった。
オバハンはこう言っている。
「選択的夫婦別姓への取り組みは、個人を大切にする政策を進めるかどうかを見きわめるリトマス試験紙のように見ています」
あなたの手にしているリトマス試験紙は、使う前から真っ赤っかに染まっていますぞ。少なくともマスコミにいた人間が、それほど偏向したリトマス試験紙を使っていていいのかニャ(笑)。