あはははは。早朝から声を立てて笑ってしまった。
いやはや朝日新聞の看板コラム「天声人語」のくだらないことといったらありゃしない。わざわざ読んでいただくほどのことでもないので、ざっと要旨を書きますとね・・・。
日本で「夫婦別姓」がなぜ実現しないのか?と冒頭で問題提起をする。左翼活動家や売国経団連も導入を求めているにも関わらず実現できないのは、自民党議員らの強い反対、「伝統的家族観」や「家族の一体感」が損なわれるという主張が妨害しているからだと言う。導入反対の保守団体に「旧統一教会」を並べて、その如何わしさを醸し出そうとしている。そして「伝統である」と主張する保守たちに対して後段でこう言っている。
《夫婦同姓の起点となったのは1898年の明治民法で、130年もたっていない。江戸時代は多くが公式な姓を持っていなかったが、家族に「一体感」がなかったとは思えない》
お~い、無知蒙昧の天声人語くん、江戸時代にも姓はあったんだよ。「隠し姓」と言ってね、例えば元武士で今は百姓や町人になっている家には、元々の姓が存在している。ただ幕府の意向で名乗ることを許されていないだけ。それに江戸期に生まれた歌舞伎という芸能には「市川團十郎」とか「中村勘三郎」という役者たちがいた。みんな「市川」とか「中村」とか名乗っている。
商人だってそうよ。「屋号」というものが存在し、「三河屋」「駿河屋」「越後屋」という家代々の呼称を冠している。これだって姓と言えなくもない。
百姓でもそうだった。山のほうにある田地を耕していた甚平さんは「山田の甚平」だし、下のほうにある畑を所有していた五作さんは「下畑五作」と呼ばれた。それに田舎の方には落人伝説なるものもあって、「わしの家はな、平家の落人だった」とか「藤原家の末裔なのじゃ」ということで、「藤」や「平」が入った姓を隠し持っているという集落もある。
いいかい、公式であろうとなかろうと江戸期以前にも「姓」はあったし、「山田の甚平さん」の妻は「山田のおよねさん」なのだ。だから家族に「一体感」が醸成され続けてきたのである。バ~カ。
夫婦別姓を強力にすすめた人物が支那にいた。中華人民共和国という共産党独裁国家をつくった毛沢東である。その前の清の時代には「冠夫姓」という夫の姓を妻の姓の前に持ってくる慣習があったそうだが、それを全否定し「主席令」で「男女平等」、「夫婦別姓」を発布したんだとさ。
毛沢東、要するに労働力が欲しくて、女性を駆り出すための「主席令」と言っていい。なにが男女平等なものか(笑)。
愚かなコラム書きはこう結んでいる。結んでないけど。
《仕事上の不便さや自己喪失感など、別姓を望む理由は多様だ。》
でた~、多様性。
《日々の不都合を解消するのも大事だが、根っこには凝り固まった価値観がある。変えなければいけない。》
はあ?
まず「結」の前段から反論しておく。現段階で「旧姓」の使用は大きく認められており、旧姓を使用する著名人、有識者は多く、彼女たちは「まったく不便はない」と言っている。「自己喪失感」って、そもそも確固たる自己をつくるのは姓ではなく、己の努力だろう。
後段は、ここまで書いてきたことを全否定しているのニャ?「夫婦別姓」に凝り固まった価値観を《変えなければいけない》というなら、ワシャも「天声人語」を見直さなければならない。文章が下手なだけだと思うけど(笑)。