本居宣長という高み

 昨日、地元の読書会。課題図書は、10月19日開催の年一読書会で東京のチェリオくんから提案のあった先崎彰容『本居宣長』(新潮選書)を使わせてもらった。

 チェリオくんからの提案が8月17日で、さっそく買って目を通す。ううむなかなか重量級の本だ。年一の課題図書にはうってつけだと思った。でも、ちょいと落語のほうにあっしの意識が傾いておりましてね、最終的に年一では、古今亭志ん生の『びんぼう自慢』を選んだというわけでございます。

 とはいえ『本居宣長』、副題に《「もののあはれ」と「日本」の発見》とあって面白そうな本である。9月の末に地元の読書会があって、そこでこの本を提案してみたら、あっさりと課題図書になってしまった。メンバーのパラピーくんが宣長の故郷の松阪に縁のある人で、「ぜひ」ということでそういうことになった。

 そして読書会、地元でいつも会場を開けておいてくれるパセリくんからSNSで「遅れます」というメッセージが入った。ワシャは毎度、定刻通りに参じるのだが、「これは早めに行って会場を開けておかないといけない」と思って、いつもの電車より2本早めのに乗って会場に向かう。

 会場の受付に行き、「パセリですが○○号室の鍵をお願いします」と受付嬢に言うと、「○○号室の鍵はすでに持っていかれました」とエレガントに言うではないかいな。

「あれ、パセリくん、都合がよくなったのかな?」と思いながら上層階に移動し、○○号室に行ってみれば、すでにパラピーくんが室内にいて、ホワイトボードにびっしりと板書しているのだった。

本居宣長』(新潮選書)を読んでの彼なりの疑問点がびっしりと並べられている。本には付箋がびっしりだし、内容を何枚かのペーパーにまとめてもある。気合が入っていましたぞ。

 彼の疑問点は先崎さんの論の中で、副題になっている「もののあはれ」あるいは「もののあはれ」論について、「前段と後段でニュアンスが変化しているのではないか?」とうことを主眼にして、全体の本居宣長の思想に迫るものだった。

 ううむ、しっかりと読みこんでいるなぁ。これにはワシャも適当に答えられないので、しっかりと本のページを挙げて「先崎さんの主張は一貫している」という反論をした。

 しかし、この本はしっかりと読みこんではあるが、この本の随所に出てくる関連本についてはごく一部しか読んでいなかった。例えば『論語』、『古事記』、『日本書紀』、『万葉集』、『源氏物語』、『古今和歌集』などは書棚に入っているし、一応は目をとおしている。でもね、凡夫は活字を追うだけが精一杯で、そのベースとなっている思想とかテーマのようなものまで頭がついていかない。それぞれの書物の含有している「対外的ナショナリズム」とか「自我論」、「人間関係論」などを考えて読んだことがなかった。

 ワシャの町の比較的大きい図書館にすら『本居宣長全集』は1,2,3,25,26巻が所蔵されているだけ、それも戦前に発刊されたものである。『賀茂真淵全集』、『契沖全集』にいたっては所蔵がない。図書館にもないような本がワシャの書棚に挿してあるわけがないんですね。

 だから『紫文要領(しぶんようりょう)』とか『安波禮辨(あわれべん)』とか『あしわけをぶね』とか言われましても、まったくフォローしていないので先崎さんの話についていけない。それでもそういった書名を『国史大辞典』やネットで検索しながら四苦八苦をしていた。

 メンバーのスギちゃんが「今回は難しくてあまりみんなほどには読みこめなかった」と自省していたが、いやいや、ワシャらとの差はありません。先崎さんの高さやそのはるか上を飛ぶ宣長と比べれば、地面に落ちたドングリの背比べですわ(笑)。

 いやはや勉強不足を再認識させられた一冊だった。早速、図書館に行って5巻しかない全集を借りてくるか・・・しかし、凸凹商事の委員会議の原稿も仕上げなければいけないし、さらに面倒くさい仕事も1本抱えているんですね。

 う~む、日暮れて道遠し。まだまだ勉強の日々は続くのであった。でも、

読書会は楽しかったし、その後の反省会もおもしろかった。