「みかづきやまそほのおきにあいのうみ」
上記の句は昨日の「プレバト」秋の俳句タイトル戦「錦秋戦」の優勝作品である。詠んだのは俳優の的場浩司さん、居並ぶ名人の句と比較してももっともこの句が良かった。
夏井先生の添削はなく、絶賛だった。そして《「真朱(まそほ)」という言葉をよく持ってきましたね。》と驚いていたくらいだ。ワシャも驚いた。おそらく、タイトル戦に居並んだ名人、有段者たちのなかで「真朱(まそほ)」を知っている人はいなかったろう。「真朱(しんしゅ)」はワシャも知っている。だが「真朱(まほそ)」は知らなかった。言い訳になるけれど、ワシャの家に5冊の『広辞苑』があるが、どれにも「まほそ」は載っていない(笑)。それどころか「しんしゅ」すらありませんでした。だったらということで『日本国語大辞典』を調べたんですが、そこにも「真朱(まほそ」」「真朱(しんしゅ)」はなかった。
結局、それを見つけたのは『日本の傳統色』(京都書院)だった。そこにこう書いてあった。
《天然産の良質の朱砂の色のような、黒味の濃い赤色をいう。人造の銀朱に対して真の朱の意である。真朱をわが古代では「真朱(まそほ)」(『万葉集』第十六)》と呼んだ。》
おおお、このあたりでなんとなく手がかりが見えてきた。
昨日の「プレバト」は3時間スペシャルだったので、最後の的場さんの作品が出たのが午後9時50分を回っていた。10時を回ってそろそろ寝ようかと思ったのだが、どうにも「真朱(まそほ)」が気になって、それから書庫に籠ったのであった。
『万葉集』までたどりつければいい。ワシャの書棚には『万葉集』関連だけで30冊くらいはある。まずは佐佐木信綱『新訓万葉集』(岩波文庫)で「巻十六章」を読み始めた。まもなく3841番で「佛造る真朱足らずは水たまる池田のあそが花の上ほれ」、3843番で「いづくぞ真朱ほる岳こもだたみ平群のあそが鼻の上ほれ」を見つけた。といってももう0時を超えていましたがね(笑)。
ううむ、原歌は読めたが、今一、原文だけの岩波文庫では理解が進まない。ということで斎藤茂吉の『万葉秀歌』(岩波新書)をめくった。目次を見ると「巻十六」のところに《「三八四一」ほとけつくる・まほそたらずは(大神朝臣)・・・一四四》とある。その解説を引く。
《これは大神朝臣が池田朝臣に酬いた歌である。「真朱(まほそ)」とは仏像などを彩色するときに用いる赤の顔料で、朱(丹砂、朱砂)のことである。「水たまる」は池の枕詞に使った。応神紀に、「水たまるよさみの池に」の用例がある。また池田の朝臣の鼻は特別に赤かったので、この俳謔の出来たことが分かる。》
要は、「真朱が欲しければ池田朝臣の赤い鼻を掘れば出てくるだろう」と冷やかしているのだ。ううむ、これで歌の意も理解でき、「真朱(まそほ)」が何であるかもようやく解りましたぞ。
後段の歌3843番については、『万葉集ハンドブック』(三省堂)にあった。これも「どこかの岳(おか)で辰砂を掘るくらいなら平群の朝臣の鼻の上を掘ったらいい」と赤鼻への揶揄をしているとのこと。
なるほど、少し脇道に逸れたが「真朱(まそほ)」については具体的に見えてきた。
沖の夕景の中に三日月があり、深い赤と藍色の海が地平で接している・・・そういう情景を的場さんは詠んでいる。
それにしても「夕景」を描写するのに「まそほ」を使うとは、只者ではありませんな。それとも俳人の中では「まそほ」は一般的な言葉なのだろうか?
めちゃめちゃ勉強になったが、午前1時を過ぎてしまった・・・。
と、朝起きてから書いている。