お為ごかしな文章など書くな!

 今日の「天声人語」もひどい出来だ。支那の深圳で通学途中の10歳の少年を支那人が刺殺したという事件を取り上げている。そのチョイスは新聞コラムとしては妥当だ。

 しかし内容が悪い。冒頭の100文字が、読者はニュースでよく知っていることの繰り返しになっていて、100文字の最後を記者本人の思い《やりきれぬ思いでいる。》で締めてある。

 文章が冗漫だね。

「深圳の事件のことである。少年が亡くなるという残念な結果に終わったことが、やりきれない」42文字で済む。

「承」の部分である。天声人語氏は現場の写真から、「楽しい登校風景」を想像し、「許されざる凶行だ」と怒る。ここは、まあこんなものだろう。

 この文章に続けてコラム氏はこう言う。

《男の動機について中国側の説明がない以上、憶測をふりまわすことは避けたい。》

 おいおい、オメエ少年の行動については憶測を飛ばし、私的な感情を吐露しているじゃん。だったら犯人の行動や動機についても、私見でいいからアナタの見解を述べろよ。支那側の説明がなかろうが、ジャーナリストとしての経験から物申すことはできるだろう(怒)。

 コラムの中ほどで6月のスクールバス事件に触れ、《同じような構図の事件がつづくのは何故なのか。一線を越えることをいとわない何かが広がっているのか》って、アンタ、アホなの?ここは疑問を呈するところではなく、記者としての経験から、ある程度を類推して「こういった事件がつづくのはこういった背景があるからではないのか」くらいは言えよ。社説じゃないんだからさ。

 コラム氏、終盤になってようやくまともなこと(といっても周知のこと)を言い出す。

《統治のひずみを、愛国教育という名のナショナリズムで覆い隠す。その行きつく果てだろう。》

 ここは「だろう」ではいけない。その結果であることは間違いなく、さらに言えば、「行きつく果て」ではなく途中経過である。支那の歴史をよく読めよ。ここからエスカレートして、例えば「通州事件」のような大虐殺につながっていく。

 結びも頓珍漢な終わり方だ。支那人(54)を登場させてこう言わせる。

「歴史を忘れてはいけない。だが男のしたことは犯罪行為だ。私は中国人として非難する」

 おいお~い、支那共産党の教えている歴史は間違っている。忘れていいのだ。すでに「天安門事件」すら歴史から消えている体制だからね。日本人の少年を無残に殺害した男も、この間違った共産党の歴史の上に出来あがっている。無意識の中に反日が刷り込まれているのだ。

 そのことを社会の木鐸たる新聞はきっちりと書けよ。