昨日の夜、『天空の城ラピュタ』が「金曜ロードショー」でやっていた。昭和61年に制作されたこのアニメ、『風の谷のナウシカ』で一躍アニメ界の寵児となった宮崎駿の第2作目ということで、映画館はいつも混んでいた。その後、テレビでも何度も流れた。VHSに録画もして観たし、ビデオにもなっているので借りてきてそれこそ何十回鑑賞したことか。
だから夕べも、「あえて観なくても」と思っていた。「金曜ロードショー」だと途中でCMが入るので、物語がぶつ切れになってしまう。映画鑑賞としてはこれほどつまらぬ観方はないと思っている。
でもね、『天空の城ラピュタ』だからね。「ちょっと最初だけ雰囲気を感じておくか」と思ったのが間違いだった。結局、午後11時半まで観きってしまい、さらにそれから書庫にもぐって『天空の城ラピュタ』関連の本を掘り出して、それを読み始めてしまった。やれやれ。
基本的に『天空の城ラピュタ』は名作である。アニメではダントツトップであることは論を俟たないが、劇場映画というカテゴリーの中に入っても黒澤明の『七人の侍』、『羅生門』、小津安二郎の『麦秋』、『東京物語』などともいい勝負をしていると思う。
宮崎の『風の谷のナウシカ』より、ワシャ的にはだんぜんに『天空の城ラピュタ』がいい。理由は主人公のシータが可愛いことと苦労人であるところである。シータをサポートするパズーも健気だ。親方の下で必死にボイラー整備を習得、炭鉱の蒸気機関の仕事を手伝っている。この2人の子供を中心にドラマが展開する。女海賊のドーラも奥行きがある。強かな盗賊でもあるのだが、人情味のある表情を時折垣間見せる。そしてなによりタフで鉄の意志を備えている。悪役のムスカもクールで知的だ。将軍や兵士を前にして「言葉を慎みたまえ、君はラピュタ王の前にいるのだ」と言うムスカには威厳さえあった。その他にも、海賊船タイガーモスの機関長のルイじいさん、山で暮らすポムじいさん、ドーラ一家の若い衆たちもいい役を演じている。親方夫婦も強かったし、パズーの回想で出てくる父親も格好よかった。
でもね、『天空の城ラピュタ』の名わき役は、やはり機械たちである。ロボット兵が要塞ティディスの場から登場するが、異様な外形からは想像できないほど、繊細なマシーンで、リュシータ王女(シータ)を守るべく必死に闘う姿には思わず涙ぐんでしまった。夕べね。
ストーリーは全部頭に入っているんだけど、それでもシータに誤解されたまま、しかしリュシータ王女を守るべく健気に闘うロボット兵は何度見ても感動する。その後、天空のラピュタに到着後に出会った同型機種は鳥を助け、墓に花を手向ける優しいロボット。そして、ムスカに操られてゴリアテ(飛行戦艦)を襲うロボット兵。だけどタイガーモスの中で身をひそめるドーラ達には見て見ぬふりをしてよそに行ってしまう気配りも見せる。
さらにタイガーモス号もいい。ゴリアテもごつくてカッコいいなぁ。4枚の羽根で飛ぶフラップターもすごいマシーンだ。パズーとシータが逃亡に使った軽便鐡道もいい役割を見せていた。木造の線路で繰り広げられるパズー・シータとドーラ一家の追跡劇、そこに軍がからんでの大騒ぎは、これ映画史上に残る名シーンだと思っている。
またラピュタそのものが圧巻だった。樹木、鳥、獣、そしてそれを世話するロボットの上部の世界。かつてのラピュタの繁栄を忍ばせる遺構がそのまま残されている中層の部分。その下がラピュタの中枢ともいえるものである、最下部にある半球体。ここがラピュタの心臓部でもっとも重要なところでもある。だがラピュタ王家の末裔であるリュシータ王女には不必要な部分で、これを「滅びの言葉」で破壊してしまう。本来は「滅びの言葉」ですべてのラピュタが消えてしまうはずなのだが、上部に繫茂する大樹の根が中層部を支えて助けたのである。ラピュタは残った。そして天空へと去っていくのだった。
主人公はもちろんこの「ラピュタ」で、その他の登場するものどもは脇役である。でもね、ワシャはパズーとルシータの10年後、30年後が見てみたいと思うのである。2人の事後談ではないほうがいい。名前もパズーとルシータではなくまったく別名がおもしろそうだ。
おそらくパズーとシータは結婚しないと思う。違う場所で別々の人生を歩むような気がする。それぞれの子供たち、孫たちがまた違う冒険譚を展開するのも楽しそう。ドラマは最終盤まで、年老いたパズー、シータのことを明かさず、「ラピュタ」の物語とは繋げず、ラストで「あれ、この2人の老人、パズーとシータではないの?」と思わせるのがいいなぁ。
CMでブツブツだったけど久し振りにおもしろかった。また映画館で観たいなぁ。