中野市の事件で考えた

 ネットでも地上波でもこのニュースばかりが流されている。

《4人殺人「長野立てこもり」壮絶な顛末…果樹園経営の市議会議長の息子はなぜ凶行に及んだか》

https://news.yahoo.co.jp/articles/b59bcde237f34e1d0507275e87fa84a11fffdfec

 お亡くなりになられた4人のかたのご冥福を祈りたい。

 しかし、ちょっと気になることがある。警察官2人の死亡の状況である。

《「迷彩服姿の男が青木議長宅にいきなりやってきて刃物を振り回し、暴れた。男は女性を追いかけて刃渡りが長い刃物で刺した。近所の人が110番通報して、パトカーが駆け付けると今度は男は散弾銃を取り出し、まだパトカーの中にいる警察官に発砲して命中したとみられる。》

 110番通報を受けて、現場に警察官がやってきている。もちろん犯人が凶器を持っていることは知った上での現着である。もちろん2人ともピストルを所持していただろうが、撃ち合うこともなく、散弾銃で射殺されている。

 犯人はパトカーを待ち伏せして不意打ちをしたのだろうか。記事からだけでは読み取れないが、「パトカーが駆け付けると」と書いてあるので、犯人はパトカーの到着を確認し、おもむろに「散弾銃を取り出し」て、パトカーに近づく。2人の警官は前のシートに座っていたのだろう。フロントガラス越しか、窓越しか、散弾銃を撃っていると思われる。記事は「命中したとみられる」とあるが、命中しなければ死なないって。最近のマスコミの煮え切らない情報提供は気持ち悪いなぁ。

 

 話が逸れた。

 この射殺事件に関しては、また情報が出てくるだろうから、その時にまた検証するけれど、どうも、治安を守る警察全体の危機管理の態勢自体に問題があるような気がしてならない。

 警官が発砲することがたまにあるが、その都度、県警あたりから「適切な発砲でした」というような言い訳アナウンスが流されるが、そんなものが必要なのか?

 先日も、飲酒運転の車両が、警官の制止を振り切って逃走するという映像がニュースで流されたが、運転席側で制止している警官が振り落とされるような格好で車両が急発進している。これなんかも銃を構えて「手を挙げて車から出なさい」と命令すれば、警官危険な目に合うこともないし、飲酒運転、暴走による二次被害も防げる。万が一、それでも発進するようなことになれば、発砲すればいい。

 警官の皆さんは市民の安全を確保するために日夜闘っている。犯罪者は市民の敵であり、無辜の人々を襲撃する危険性をたっぷり持っている。そんな輩に人権など必要ではない。「命令に従わなければ撃つ」と、真っ先に拳銃を犯罪者に向けて、トリガーに指をかける。

 クソガキどもが白昼堂々銀座の高級時計店を襲撃するようなご時世だ。長野の田舎町では猟銃等で4人も殺害されてる。警察はもうサヨクマスコミなどの人権屋のひけらかすカッコつきの「人権」に惑わされてはいけない。

 最優先で考えるべきは、普通の人の人権なのである。それを最優先すれば、犯罪者の「人権」など不要なのである。これ以上、警官の犯罪者に対する発砲を委縮させてはならない。

 

 さらにもう一点。長野県中野市市議会議長の息子ということで、ニュースが流れるが、なんで氏名が伏されているのだろうか?

 これも簡単で、犯人が危痴害である可能性があるからである。人権屋弁護士が「心神喪失」「心神耗弱」を盾にしてマスコミに対していちゃもんを付けてくる可能性を懸念しているのだ。

 これはジャーナリストの門田隆将さんから知ったのだが、犯罪予備軍が事前に精神病院に通院して、病気の実績をつくっておいてから、犯罪に及ぶ「詐病」が行われている現状がある。

 実際に2015年に、熊谷市でペルー人男性による小学生2人を含む6人の強盗殺人事件があった。もちろん裁判員裁判では死刑だった。しかし二審では「心神耗弱」を理由に死刑判決が覆されている。

 こんなことで、普通の市民が守れるのかね?