首長の話

 東京都の高野豊島区長が亡くなられた。

《東京・豊島区長の高野之夫さん死去 85歳 1月に新型コロナ感染》

https://news.yahoo.co.jp/articles/0f5dc7a42832aa43c37eaa6f4facbd14c142d1bf

 この十数年、豊島区の発展ぶりがすごかった。新築された豊島区役所は全国の自治体から注目の的だった。池袋駅の西側に支那人のエリアができ、治安も云々されていたが、東側の劇的な開発で、その豊島区のイメージは一新されたと言っていい。13㎢に30万人が住む大都会を「消滅可能性都市」から脱却させ、魅力ある街に変貌させたことへの高野区長の功績は大きい。

 それはそれとして、やはり85歳という年齢はどうであろう。さらに6期目という長期政権にも疑問がある。こればかりは指摘せざるをえない。ネットのコメント欄にも多くの高野ファンからの「頼む。表面だけを見て首長の高齢化が云々、なんて言わないでほしい」といったようなメッセージが見られるが、やはり85歳というのは高齢と言わざるをえない。高野区長がどれほどスーパーマンであっても、6期目への出馬は控えるべきだった。

 単純に考えてください。30万人も人がいるんですよ。その中に人材はいないのでしょうか。60代後半で区長になるのはいい(もう少し若いほうがいいけれど)。しかしなった段階で後継者をつくることは始めておくべきだった。

 基本的に地方自治の首長は3期12年で仕事の成果が出せるもの。4期16年もやればやり残すものがないほど仕上がっていると言っていい。その段階で後継者育成ができていれば、任期途中で「トップが死亡」などという騒ぎを起こさなくてすんだ。

 豊島区長、いい仕事をしてきた人だけに引き際が甘かった。5期20年で後進に道を譲っておいてごらんなさいな。格好いい区長の印象を携えて逝けましたよ。

 権力というものは「恋々」とすることが一番みっともない。しかし、大方の多選首長は4期目あたりから「権力」に魅入られ、有権者も大きなミスさえなければ、「多選」を許す傾向が強い。

 坂本龍馬大村益次郎のように、自らの成すべき仕事を終えれた時、さっさと舞台から去っていく・・・これが格好いい。

 

 さて、東海地方で多選を目論んでいた首長が6期目の立候補を断念し、後進に道を譲った。おそらく立候補していれば間違いなく当選していただろう。そうすれば高野区長と同様の6期目に突入する。だが年齢は高野区長が初当選を果たす年齢よりも若い65歳。ということは、高野区長に倣えば11期まではやれたはずだ。

 ここからが問題提起なんだけど、首長の「多選」「長期政権」の弊害は、有権者にはなかなか届かない。日常業務を可もなく不可もなくこなし、ときどき大きな花火を打っておけば「票」は取れる。

 しかし、見えないところで権力は腐っていく。熊本県知事を辞す細川護煕氏が言われた「権不十年」、実際には「権腐十年」なのだそうだが、「腐」では字面がきつすぎるので「不」にしたのだという。

 もちろん高野区長は清廉な人であったろうから、そんなことはなかったと思うが、しかし、組織というものは同じ状態で十年も経過すると土台やあちこちの部位に水が伝って腐食が始まり、シロアリも這い出してくる。本人は腐らずとも組織が傷んでくるのは必然である。それを食い止めるのが新陳代謝であり、東海地方の多選首長を阻んだ動きは善哉であった。