10月からどたばたしていた大きな仕事が終わって、昨日はその仕事から離れて、ある意味緊張したけれども楽しい務めをはたした。この楽しい話はまたの機会にさせてもらう。
楽しくない話を。
《逮捕の男「妻を刺して火をつけた」 焼け跡から2人の遺体発見 愛知・愛西市》
https://news.yahoo.co.jp/articles/a9d93930c161efa8bf17b2e019747a5277f68acc
この容疑者、知っているかも。しかし同姓同名同年齢ということもあるので迂闊なことは言えない。 ニュースでは顔写真が出ていないのでなんとも断定のしようがないが、別人だったら失礼なことになるので、あまり人物に踏み込むことは止めておく。
しかし、内縁の妻を刺し、家に火を点けて、義母と妻を焼き殺したとなれば、自首しているとはいえかなりの実刑になるだろう。
最近、この手の火災が多いような気がする。火災は周辺の住民にも類焼ということで多大な迷惑をかけるので、こういった犯罪については厳しく対処してほしい。
およよ、『日本史歳時記』を見ていたら、41年前の今日、東京赤坂のホテル=ニュージャパンの大火災があったんだね。この時の火災の映像は、テレビでタイムリーに流されていて、火災から逃げ惑う宿泊客の様子が映し出されていた。33人が亡くなるという大参事になった。あのイチビリ社長のけち臭い顔はいまだに覚えている。
およよよよ、『徳川実紀』の元禄8年2月8日の項に、《けふ四谷伝馬町より失火しけるに。風烈しくて焼ひろごり。芝の海岸にいたりてやみぬ。この日災にかゝる所。紀伊大納言光貞卿の別邸はじめ。万石以上以下の邸宅。市井民屋すべて六万七千四百餘家なりという。万石以上の輩俄かに消防を命ぜらるゝもの十一人》とある。 現在の四ツ谷駅あたりから出火して、赤坂迎賓館(紀州家別邸)を始め、江戸城南西の武家屋敷群を総舐めにして、「芝浜」で有名な芝の海岸で止まったというから、5キロにわたって類焼したことになる。すごい火災だね。
と、「およよよよ」からここまでの250文字を書くのに、本を6冊、地図を3枚ひろげた・・・ってどうでもいいことだけど。
この時期は元禄なので、大岡越前が整備した「町火消」は登場していない。つまり「大名火消し」のみだったので、消火作業も滞ったにちげーねえ。なにしろ江戸の町は木と紙でできているから、火にやぁ滅法弱かった。だから、火つけは厳罰の火炙りに処せられたんでございます。
令和5年の2月も、雨が降らず乾燥をしておりやす。皆々様におかれましても、火の始末だけはしっかりとやっておくんなさいやし。