T君の話(笑)

 ワシャの友だちの市議会議員のT君のことである。

 彼は市議会議員であるにも関わらず「選挙活動」が大嫌いだ。生理的に「選挙活動」が体に合わないそうで、今、ちょいとした「選挙」に関わっているそうなのだが、すでに体重が何キロも落ちているという。

 反対にいつもはボーッとしている議員たちが水を得た魚のように動き出す。「選挙」はある種「祭り」のようなもので、それに血が騒いでいるようだ。皆で浮かれ騒ぐ祭りの嫌いなT君は、なるべく目立たぬように隅の席で存在を消しているようだ。

 しかし、それでも「何もすることがなくても事務所に詰めて賑やかしをしていろ」とか「事務所前の路上に立って手を振っていろ」とか「相手が出なくても徹底的に電話を掛けまくれ」とか、効果が目に見えないことを強要される。これがT君は最も苦手なんですね。

 さらに選挙を多く経験している古参が何人もいて、それらが自分のイメージでいろいろなことをやろうとするから、「船頭多くして船山に登る」という現象が起きる。指示命令系統が一本化されていないがために会議は混乱し、同様の書類が2方向から出てきたり、同じ説明を別のリーダーが何度もするというような有様で、「会議慣れしていない人たちなんだなぁ」とT君は思ったそうである。

 とはいえ、場を乱すことも品がないので、今のところ、行政内部の情報に強いというところを買われて、選挙管理委員会とのやり取りや、選挙エリアの地理的な知識とB級ライセンスの運転技術があることから(笑)、選挙カーのドライバーなど、一応仕事の効果の分かるものに限定してやっているようだ。

 まぁ当落の予想はつかないけれど、どのみち今日1日で、賽の河原の石積みのような作業は終了する。あるいは「シーシュポスの大岩」の話か。

 哲学者の加藤博子さんはこう言う。

《シーシュポスは、ふと気づきます。岩の表面の、その細かな石の煌めきに。この世のさまざまなものの一つ一つを丁寧に見れば、それらはキラキラときれいに輝いていることに気づく。この岩を動かす行為は無意味かもしれないが、他に価値ありことと思われている行為だって、実はたいした意味などないともいえる。人の営みの価値に大した差はない。そう思えた時、刑罰は苦から喜びへと、幸せへと反転するのです。》

 てなところで折り合いをつけて、大岩を頂上まで押し上げにいきますかね(笑)。