ボランティアと新興宗教

 ワシャの地元に福祉系のボランティア団体があって、そこが毎週1回、公民館に老人を集めてお茶会だの、高齢者体操だのの講座を開いている。多い時に老人の参加者は100名を超える。スタッフのほうは常時20名くらいで会場の準備から飲食の用意、講座の段取り、後片付けまで午前中はそれだけでほぼ潰れてしまう。

 しかしスタッフは福祉関係の公的な仕事をしている長老女性のもと、一致団結して開催している。

 何度か、その会を見る(というかこき使われる)場面があって、これは「何かに似ているなぁ」と思っていたんですわ。

 そんな折に参議院議員選挙があって、友だちのT君が、選挙事務所の電話ボランティアに駆り出された。T君の隣で、固定電話にかじりついていたジイサンが、それはそれは甲斐甲斐しく働くんですわ。T君が1本掛けている間に、5~6人に電話をして投票依頼をしている。T君同様に義理で詰めている電話当番とは明らかに違っている。ボランティアのジイサンは、掛けて掛けて掛けまくっていた。

 そこでT君が気がついたのは、愛知選挙区の候補者だけでなく比例区の特定候補を強くお願いしていることだった。この候補が誰あろう統一教会にどっぷり浸かっている井上某候補だった。ははあ、こいつ統一教会の流れを汲んでいるなぁ・・・とT君は思ったんだとさ。

 

 岡田斗司夫さんが「ボランティアと新興宗教は共通点を持っている」と言っていたことを思い出した。

「そういうところに入れば友達は増えます。新興宗教にしろボランティアにしろ繋がりを求めてきている人が多いので」

 確かに。

 新興宗教は寂しい人に憑りつきやすい。親しい友達のように憑いてくる勧誘員にコロリと騙されてしまうのだ。勧誘する側は騙そうなんてこれっぽっちも思っちゃいない。善意の塊そのもので寂しい人に迫ってくるからさあ大変。

 私の見たボランティアも善意の塊だった。で、そのボランティア活動に参加を拒むと「あなたはサタンね」というような目で批判してくる。ボランティアを施す対象にはどこまでも慈悲深く、どんな無理にでも応えようと努力する。

 しかし、ボランティアを施す側にきたからには、ボランティアという崇高な教えの下、リーダー(地区教祖様)の指示に従い、統率を乱してはいけない。

 これって新興宗教じゃん。そう思い当たったら笑えてきた。