鈍感力

 ひと昔も前に、医師で作家の渡辺淳一さんが『鈍感力』(集英社)を出版され、ワシャは少し神経質なので、鈍感力を備えようと思って、さっそく購入して読んだものである。

 でも、あまり共感をしなかった。だから、書庫には収まっておらず、段ボールに詰めて物置に入れてしまった。それでも作者別にしてあるので、なんとか見つけて、今、引っ張り出してきた。それにしても、この混沌とした本の集積の中から目的の本を探し出す検索力には我ながら感心するわい(バカ)。

 渡辺さん、医師であるので、五感などの感覚器官はやや鈍感であるほうがいいと言われる。例として、蚊に刺された皮膚が、鈍感であればポリポリと掻いておしまいだが、敏感であると、掻いても掻いても痒くて、皮膚が傷ついてしまうかもしれないと言う。鋭いよりは鈍いほうが長生きできるとも断言する。

 医療的にはそうなのかもしれない。しかし、これが組織となると疑問符が付けてしまうなぁ。

《才能のある人のまわりには、必ず褒める人がいて、次にその本人が、その褒め言葉に簡単にのる、この「図にのる、調子のよさ」はいわゆる、はしたないことではなく、その人を大きく、未来に向かって羽ばたかせる原動力となるのです。》

 渡辺先生はそうおっしゃるけれど、ここが違う。 「才能のないバカ」のまわりにも、そのバカが権力者であったりすると「必ず褒めるバカ」が出てくる。この「才能のないバカ」が、その褒め言葉に簡単にのってしまうことは、はしたなく下品なことであり、よくあることなのだ。

「才能のないバカ」は、けして自分自身を「才能のないバカ」などとは思っていない。これがそのバカの所属する組織の未来を、地獄道に追いやっていくのである。

 おそらく渡辺先生、組織に所属したことがないから、こういったお気楽なことを言われたのであろう。

「恋愛」の章でも、「欠かせないのが鈍感力」だと言われる。これは否定しない。確かにそのとおりで、恋愛に関しては師範級のワシャでもそう思う。恋愛など鈍感でなければできない。だから、繊細な車寅次郎は恋愛に踏み込めなかった。

 ただ、やはり医療的なものや、恋愛に関すること以外では、先生の唱える「鈍感力」については疑問に思っている。

 後段で「会社で生き抜くために」という章が用意されているのだが、ここで先生の展開する「鈍感力」が破綻する。

 先生は、中年の男性編集者の話をもってくる。彼が神経質で、隣に座っている小太りで厚化粧の女性の甲高い声とむせるような香水の臭いが気持ち悪く、仕事がはかどらないと相談をうけたそうな。

 結局、このケースでも先生は「したたかな鈍感力」があれば切り抜けられると言い《こう考えると、この種の鈍感力をもっている人物は会社にとって貴重な人材》とまで言っているが、それはちょっと違う。

 おそらく渡辺先生は気づいていないが、男性編集者は「声」とか「香水」に神経質になっていたのではない。例えば、フカキョンみたいな女性編集者が「同じ声」で「同じ香水」を付けて隣にいてごらんなさいよ。男性編集者は毎日うっとりとして仕事に身が入らないから(笑)。

 鈍感力を身につけたとしましょうか。隣の席に、人の子を餓え死にさせるような巨女があぐらをかこうが、優しくて可憐でキュートなフカキョンが座ろうが、「なにも感じまへんねん」では人生が寂しかろう。こんな無神経なヤツが、《のちに会社の重要なポストに就く可能性も少なくありません。》って先生は言われるが、それって悲し過ぎませんか。

 はっきり言えば、渡辺先生の「鈍感力」は組織論的には間違っています。

 素晴らしい鈍感力を持った人物が「会社の重要なポスト」に就いた一例を挙げておきます。

 ある会社の話です。くれぐれも言っておきますが「ある会社」ですぞ(笑)。社外役員からトップになった人物が、けっこう長期の社長となり、社員すべてが自分より経験の浅い、若い世代になってしまったんですね。自分よりも年長の役員がいた頃には、わがままを言わないトップだったんですが、何十年もやってきて、見渡せば自分より高い山はなくなっていました。

 そこで、繊細な気持ちを持っているトップであれば、周囲に慮って仕事を進めようとするんですが、「鈍感力」で装甲された無神経社長には、人に配慮などという繊細な気持ちはこれっぱかりもありません。

 ある会議で、あまり練られていない社長案に対して社外役員が「もう少し検討するべきではないか」との意見が出ました。それに対し、半数以上の社外役員も同調し、会議はかなり紛糾したそうです。会議は中断され、社外役員の半数以上が会議室から退出して、暗黙の内で異議を示しました。

 会議が再開され、先ほどの社外役員とは別の人が切り口を変えて質問をして、社側の意向を確認したそうです。何人かの執行部は「あ、これはかなり厳しい質問だ」と察知しました。あるいは違和感のようなものに気づいた執行役員もいたようです。しかし、当の社長は、みごとな鈍感力を見せ「なに言ってんの?」とキョトンとしているのでした(泣)。

 数日が過ぎ、さしもの鈍感力の持ち主も状況が認識するに至ったのでしょう。その後に開催された、社外役員のいない複数の会議体の挨拶で――自分も元をただせば、ご意見番の社外役員だったのにも関わらず――社外役員の一連の意見を「情報認識がずれている」と言い切ってしまいました。

 そこで言っちゃあダメでしょ。

 どうでしょう。この素晴らしい鈍感力を持っている社長が率いる会社が、これから発展していくと思いますか。