人吉

 熊本県南部の「夏目友人帳」の故郷である(笑)。昭和17年市制施行をしているので、碧海郡のどの自治体よりも先に市になっている。安城町が市になったのは昭和27年だから遅れること10年で、当時の人口は37,700人余であった。おそらく熊本県南部の中心地であった人吉は40,000を超えていたのではなかろうか。当時の安城駅前商店街の賑わいを考えると、さらに球磨郡の都だった人吉にはさらなる殷賑の地であったろう。ちょっと百科事典から引きますね。

肥薩線湯前線の分岐点で、周辺農山村に放射状にバス網が発達し、商店街は活気がある。相良氏700年の城下町として発達、小京都とよばれ、人吉城跡、蒼井神社、相良氏の菩提寺願成寺、大村横穴群など史跡も多い。》

 でしょ。人吉盆地から隣の町まで行こうとすると、山越え谷を跨いで行かねばならない。人吉盆地(72㎢)で周辺の山間部(1326㎢)を商圏として取り込んでいるので、人的交流、物資流通の拠点として栄えたことだろう。

 相良氏の城下町として700年というからかなり年季が入っている。岡崎が城下町として成立するのが550年前くらいだから、それよりもさらに古い町である。ううむ、だから町全体が醸す文化の香りのようなものが漂っているわけやね。

 

 とはいえ、現在の人吉市の人口は31,000人となり過疎の町となっている。周辺の町や村も推して知るべしで、人口は熊本市やさらには中央に吸引され減少の一途を辿っている。

熊本市からは直線で70キロも離れている。鹿児島市にも同じくらい離れているので、やはり独立した文化圏なのだが、いかんせん人吉と周辺の球磨郡と併せても80,000程度の人口しかなく、吸引力を持つには人口規模が小さすぎる。

 ゆえに山懐に抱かれた小京都が残されているわけだけれども、自治体としては孤立している観が否めない。

そしてここを流れる球磨川がときおり氾濫を起こす。日本三大急流で暴れ川、普段は滔々と流れる水面は穏やかなのだが、これが一転して祟り神のような災厄となって堤防を越えてくる。

 今回も現地を調査させてもらったが、河川氾濫ではなかった。まさに東北の震災で目の当たりにした津波被害そのものだった。

 僻地だけにここが中央から置き去りにならないか?復興支援は適切に成されているか?天狗橋は再建されるか?妖(あやかし)の里としてシティプロモーションを打ち出していけるか?

 などなど考えさせられることが沢山あった。市長は言われた。「人手が足りない」と。こういった時だからこそ、力のある本州中央部から人材を派遣するべきではないのか。少し薹は立っているがシティプロモーションの得意なオッサンもおりまっせ(笑)。