徐々に日常

 昨日、某駅前の公共施設の会議室で読書会。

 課題図書は、山本七平『存亡の条件』(ダイヤモンド社)。メンバーのパセリくんが山本七平にこっていて、すでに山本本を何冊も読破していたんですね。パセリくんの影響でもないのだけれど、たまたまワシャも何冊かの山本本を収蔵していて、先月、書棚の整理をしていたら『存亡の条件』が2冊あるのに気がついたんですわ。ワシャはパセリくんに飲み屋で200円の借金をしていたので、その本を借金のかたに取ってもらうことにした。たまたま『存亡の条件』は持っておらず未読だったということで交渉は成立した。その時に「では来月の課題図書にしよう」ということになった。

 

 本書は、ニューギニアのチャンブリ人や、2000年前のイスラエル周辺の人々を通して「日本人はどうあるべきか?」を語っている。ざっと読んでみて、ワシャが思ったのは、人間というのは2000年まったく進歩していないのだと思った。キリスト以前にヨーロッパ、中東で繰り広げられた政治的なことと、現在、日本で、支那で、アジアで起きていることの類似性はいかばかりであろうか。

 現在の事象を歴史に照らしてみると、ユダヤの王ヘロデは習近平だし、天与の資質をもたない政治屋(ポリティシャン)は巷にあふれているし、 盲(めしい)たる民は世におどっていると狂信者たちは信じているし・・・。

 

 そんな議論をしていたら、会議室のドアがノックされた。振り返ると換気のために少し開けておいたドアの隙間から女性係員が中を覗いているではあ~りませんか。

「〇〇号室は、マスクをかけずに、ドアを開けて、大声で話をしている・・・という通報がありましたので、よろしくお願いします」

 と言うではないかいな。

 おいおい、ワシャらは4人で定員12人の会議室を使って読書会をやっている。メンバー同士の距離も2mを確保しているんだ。さらに会議室の窓はフィックスで開かない。だから、ドアを細目に開けて空気が循環するようにしてある。メンバーからドアも遠いので、飛沫がそのまま廊下に出ることはない。

 そしてお通夜ではないんで、多少の声は出るでしょう。おそらく隣りの会議室の利用者からの密告だと思うが、そんなに迷惑なのかなぁ。それほど過敏にならなくてもいいように思うけれど。

 うっとうしい世に中になったものだ。しかし、こういうことは2000年前のパレスチナでも起きていたのだろう。

 しかたがないので、早々に読書会を終了し、駅前の寿司屋で遅い夕飯を楽しんだのだった。