新たなる対象

 月曜日の「プライムニュース」に元大阪府知事橋下徹氏と、日本大学危機管理学部教授の先崎彰容氏が、危機管理下における政治のあり方についてそれぞれの意見を開陳していた。橋下氏は相変わらずの橋下節で、とはいえ通常なら他の論客にも食ってかかるシーンを目の当たりにするのだけれど、先崎教授にはなぜか融和的だった。思考が似ているのか、先崎教授を認めているからなのが、融和的というより、遠慮しているという観が強い。

 先崎教授、かなりの論客と見た。言葉の端々に知識に裏打ちされた鋭さがある。おそらく激論好きの橋下氏でも先崎教授には勝てないだろう。ゆえの遠慮ね(笑)。

 先崎氏が議論の合間に、福田恒存の名前を出し、福田が著作の『保守とは何か』(文春学藝ライブラリー)の冒頭にある「一匹と九十九匹と――ひとつの反時代的考察」論説を持ち出してきて、現在の政治を語った。この論説については説明しないけれど、ざっと言うと「政治は九十九匹のためにある」ということで、そのことを例にして先崎教授が説明されると、ワシャはそれがストンと腹に落ちた。さらに先崎教授は、日本の政治のあり方として「道州制」ということを口にされた。およよ、その点はワシャも同様である。

「プライムニュース」のやりとりは録画してあるので、どこかで文字起こしをしようと思うが、それにしても先崎教授の思想に触れたくなったので、さっそく何冊かを「e-hon」で注文し、さらに図書館に行って同じ本をさっさと借りてきた。早く読みたいからね。ついでに書庫も探してみると、あるもんですな。著者で買ったわけではなく、たまたま裏表紙の「内容紹介」に司馬遼太郎の名前があったので買った本である。

先崎彰容『未完の西郷隆盛 日本人はなぜ論じ続けるのか』(新潮選書)

《アジアか西洋か。道徳か経済か。天皇か革命か――日本はいつも自らが理想とする「国のかたち」を西郷に投影し、「第二の維新」による「もう一つの日本」の実現を求めてきた。福沢諭吉中江兆民頭山満から、丸山眞男橋川文三三島由紀夫司馬遼太郎江藤淳まで、西郷を論じ続けてきた思想家たちの一五〇年から、改めて「日本のかたち」を問い直す。》

 この内容紹介の「司馬遼太郎」に引っ張られました(笑)。

 ちょっと真剣に先崎教授を読んでみることにする。