平成8年11月「文藝春秋」の臨時増刊号に、作家で古書店主の出久根達郎さんが「蔵書目録の顔」と題した文章を起こしている。
出久根さんはまずこう前置きを書く。
「読んでいる本を教えてもらえば、その人のものの考え方が、たどれるような気がする」
「自分史なるものを書き残すなら、蔵書目録を残すべきだ」
「書棚の端から端まで、並べられたその順序通りに、書名と著者名をうつす。ただこれだけであるが、書名と書物の位置で、持ちぬしの顔と性格と思想が見えてこないか」
その上で一冊の本を持ち出してくる。立花隆『ぼくはこんな本を読んできた』(文藝春秋)である。
後出しになっちゃったけど、この臨時増刊号のタイトルは『立花隆のすべて』なんですね。増刊号がまるまる立花隆で埋め尽くされている。
出久根さんは立花さんの言を引いてこう言う。
「まず本に金を惜しむな」
「本を選ぶ場合、まえがき、あとがき、目次、奥付は必ず見ること」
「索引、参考文献のない本はつまらない内容である」
「買ってきた本は書棚に入れないで机に重ねよ」
「本というものは、決して整理整頓をしてはならない。飾るつもりでなく読む気なら、畳や枕もと、あるいはその辺に散らかしておくことである」
「本は粗末に扱ったほうが役に立つ」
知の巨人と本の目利きのプロが言う読書論は重みがあるなぁ。
不肖ワルシャワも、できるだけ本に金を惜しんでいないつもりなんですが、やはり書籍費には限度があって、とくに手に取って内容を確認できない新聞書評や広告で知った本が、高額であったりするとネット注文に躊躇する。町田健『日本語文法総解説』(研究社)は研究書に分類されるが、これが4400円である。店頭に並んでいれば本からいろいろな情報を得られるが、朝日新聞の記事下広告ではそうもいかぬ。だから近くの図書館でリクエストをしておいた。そういう節約をするようになってしまいました。
今日時点で今年の書籍購入数は263冊で、月にすれば40冊程度か。月に楽々100冊を読み、100冊の内容を理解していた知の巨人には到底及ぶものではない。積んだまま埃をかぶってしまう本も多くなった。
まだまだ知の巨人や本読みのプロの足元にも及ばないが、それでももう少し人生を楽しむために本を読もう。
昨日の夜、地元の町内会の寄り合いがあって、役員たちが一様に自粛疲れをしていることがわかった。
でもね、読書という秘密兵器を持っているワシャには自粛疲れなどというものはない。自粛のおかげで大いに本が読め(しかし机の上の本は減らない)、4月5月は仕事の関連本を読みまくって読書疲れに陥っているんですけどね。だから、東野圭吾『白鳥とコウモリ』に2日もかかってしまった。
取り留めもない話になってしまいましたが、大方の立花本はワシャの書庫にある。久しぶりにひもといてみるか。
あ、週明け早々に読書会があった。その課題図書がまだ読んでいなかった。そっちが先か・・・。