忠恕

 終わっている、二階幹事長。あんたは神様か?

 あ、疫病神か。

《自民・二階幹事長、ノーマスクで本会議へ…「自分だけはかからない」感染防止に“やる気ゼロ”》

https://news.yahoo.co.jp/articles/307d6cc20f6c77122b9fc1dbbeb74b40c818931e

 ホントに現在のこの人の存在は自民党にとって疫病神でしかない。ワシャの知っている衆議院の候補者は、チラシからわざわざ二階幹事長の写真を外したほどだ。

 今回の国政選挙の3連敗にしたって、ことごとく二階幹事長が足を引っ張ったと言っていい。間違いなく、自民党老害となっている。

 

 こういう足の引っ張り方は下品だ。

《中国、浮世絵で処理水を皮肉る 報道官が北斎の模倣絵投稿》

https://news.yahoo.co.jp/articles/1bd69b25bfda0f2072a54cea8cab0173c019ff16

 でも、これが支那共産党のやり口である。北斎の「神奈川沖波裏」という名画中の名画、日本人が愛してやまない芸術をつかって、福島県の処理水についてケチをつけてきた。それも一市民ではなく、よくテレビに出てくる共産党の副報道局長がツイッターに投稿したものだ。

 子分の韓国も聖火リレー原発事故にからめてイヤミなポスターを発表しやあがったが、どうにもあの親分子分は不愉快なことをさせたら天下一(下)品だな。

 

 ワシャの皇室関係の本棚に、静かな語り口だが信念を持って話すモラロジー研究所所功氏の著作がある。『皇室に学ぶ徳育』(モラロジー研究所)という本。帯に「近代化に伴って混迷した日本人の徳育は徳性の高い皇室の方々をお手本と仰ぎながら立て直されてきた」とある。まさに皇室の徳について書かれた本であり、前述した2つの不徳とは真逆のところにある高貴な「徳」を皇室は持っておられると、所氏は語る。本書から引く。

《歴代の天皇・皇族たちは、それを補い正しい各々の特性を高めるため、幼少のころから修養に努めてこられた。》

 この文章の中の「それ」とは「人の持っている弱点、欠点」のこと。

《とりわけ天皇は、日本古来の「スメラミコト」として、祖先と自然の恵みに感謝され、「民の父母」として、あらゆる人々を我が子のごとく思いやり、それでも至らないことを常に自己反省しながら、慈悲寛大な御心で万事・万民に接しようと心がけておられる。その真摯な御姿が、大多数の日本人に深い感銘を与え、信頼と尊敬の源となっているのであろう。》

《日本人の道徳心が直接間接に皇室の方々を御手本と仰ぎながら養われてきた》

 ということなのである。

 

 ワシャは土日とまるまる2日を費やして、地元の神社の清掃をした。それは末社末社である小さな神社ですら清浄にして清めておくことが重要だからである。そして不浄なものは遠ざけておく。そこが、人々が集い、日々の安寧に感謝し、次の希望を見出そうとする特別なところだからである。

 その頂点に立っておられる皇室が清らかさを求められるのは、これはある意味で歴史であり、文化そのものである。所氏も言う。

《今上陛下は「最高道徳」の具現者にほかならない。》

《私どもはその万分の一にも及ばないかもしれないが、その高みに少しでも近づく偉大なお手本として、今上陛下への理解を可能な限り深める必要があろう。》

 

 このことから、秋篠宮家の眞子内親王周辺に生じている不浄はもっとも忌むべきものであり、畏まってさっさと御前から退出するがよろし。

 上皇陛下が皇太子であられた昭和58年に「座右の銘はございますか?」という記者の質問に答えておられる。

座右の銘はありませんが、好きな言葉に「忠恕」があります。論語の一節に「夫子の道は忠恕のみ」とあります。自己の良心に忠実で、人の心を自分のことのように思いやる精神です。》

 皇室を騒がしているものどもにはそもそも「忠恕」が欠けている。

 

 ノーマスクのジジイも、名画を壊す支那人も、「忠恕」を知らない。