夫婦別姓についての考察

 前世期の最終末に『国民の歴史』(産経新聞社)が発刊された。全775ページの大部のものである。著者は保守派の重鎮西尾幹二氏。ワシャはこの本を発刊当初に買っている。その後、ブックオフで2冊買い求め、合計3冊を家のあちこちに配置してある。出てから20年以上たつが、まったく色褪せないいい本だと思う。

 例えば33章が「ホロコースト戦争犯罪」である。ここではヒトラーナチスが実行した大量殺戮を取り上げて、戦争犯罪との違いを明確にしている。西尾先生は言う。

ヒトラーの大量殺戮はある種の文明の破壊であって、戦争犯罪ではない。》と前置きをして、《われわれが知っている普通の戦争犯罪――捕虜の虐待や虐殺とか、住宅地への戦略空軍による爆撃とか、病院船や民間客船の撃沈などと一緒に扱うなら、ヒトラーの犯罪の特別な性格は見えなくなってしまうであろう。》

 ホロコーストは一般名詞だった。しかし、ヒトラー以降は、定冠詞をつけて固有名詞となった。

 ヒトラーナチスは、ユダヤ民族の絶滅を実行し、300万人が虐殺された。さらに25万人いたジプシーを24万5000人殺害する。捕虜についても47万3000人が処刑され、300万人が餓死した。想像を絶する大殺戮だが、これでもまだ一部に過ぎない。ポーランド人、ウクライナ人、オランダ人、ローレヌ人、アルザス人などヨーロッパの知識階級をその絶滅を計画していた。ポーランド人はこの計画を薄々察知しており、ユダヤの次は自分たちだということを理解していた。だから《ユダヤ人の絶滅が完了するのをひそかに恐れていたという記録もある。》ということなのだ。

 このあまりの残酷さ、おぞましさ故に普通名詞を固有名詞にして「ホロコースト」と呼ぶようになった。

 西尾先生は、この項の後段で「ホロコースト」と「ジェノサイド」を並べて論じる。「ジェノサイド」は、ある国民・人種・政治的(文化的)集団などの計画的・組織的な大量殺戮を指す語で、ヒトラーナチスによる「ホロコースト」も「ジェノサイド」に含まれる。

 これらを《戦場の興奮に基づかない、理念に基づく殺人行為、大量殺戮行為》とし、そのダントツトップに毛沢東スターリンを挙げている。そのことを指摘して西尾先生はこう言っている。

《おそらく毛沢東スターリンの右に出るものはないだろう。最近は中国共産党が自らの誤った歴史を控えめに少しずつ自認する方向に向かっているらしい。》

 1999年当時の中国共産党にはまだ理性があったのだろう。しかし、毛沢東になろうとする野望を隠さない習近平の登場で、状況はがらりと変わった。

 西尾先生は、もちろんこの時期に習近平の存在は知らないし、ワシャが持っている『中国高級幹部人脈・経歴辞典』(講談社)にも出てこない。20年前には、まだモンスターの存在は顕在化していなかった。だから西尾先生もこう締めている。

スターリン毛沢東インドネシア共産党書記長アイジット、クメール・ルージュポル・ポトウガンダのアミン大統領、イラクフセイン大統領、セルビアミロシェヴィッチ大統領といった人々の犯行は紛れもなくジェノサイドである。ヒトラーホロコーストももとよりジェノサイドの一例だが、他の地域の犠牲者数があまりにも大きく、ヒトラーの犯行はむしろ影が薄くなるくらいである。》

 スターリン毛沢東は別格としても、その他のレベルでヒトラーナチスが薄くなっているんですね。

 そしてこう結んでいる。

《二十世紀の歴史はそれ以前とは比較を絶して異常なのだ。全体主義が最高善とされ、最終目的とされ、そしてそれが挫折し、否定された世紀であった。》

しかし、20世紀末に少しいい子ぶっていた生き延びた中共がモンスターとして、習近平共産党として登場してきた。

ここで何度も言っているが、民族浄化、民族の絶滅を「臓器売買」で金に換えたのは習金平だけだろう。そういった意味では、その悪辣さは前記のジェノサイド独裁者の比ではない。

もう一点だけ、西尾先生の言を引く。

ナチスにとってすべての事柄の出発点は人種であったが、共産主義者にとっては階級である。人間の価値を決めるのも、その思想や行動ではなく、彼がどの階級に属しているかである。ある階級に属していた者はそれだけで生存の価値がないとされた。》

 習近平共産党はこれとナチスの民族・人種をも加えて21世紀のジェノサイドを引き起こしている。見逃してはいけない。

 

 さて、夫婦別姓の根幹にある男女平等のことである。これを高らかに喧伝したのは全体主義国家、共産主義国家だった。男女同権をソ連中共がなぜ声高に主張したか。

 ソ連も、中共も男女に差がないということにして、男女とも無差別に徴兵できることを是とした。単純に考えれば、男だけの場合の倍の兵士を集められるからね。合理的な手段で女性を戦場に駆り出す手段が「男女同権」を主張することに他ならない。戦場に駆り出すか、職場に駆り出すかの違いだけだ。

 夫婦別姓は、そもそも女性を蔑視した文化を持つ支那、朝鮮が主流の別姓であり、男の姓にも女の性にもなれる日本の制度がどこの国と比べて劣っているというのか?

 夫婦別姓を叫ぶ者は、己の愚かさを知らないか、あるいはソ連中共がすきなのだろう。もうちょっと学習しろよ、夫婦別姓デュープスども。