四半世紀のリアリズム

 司馬遼太郎が彼岸にゆき25年。出来の良い読書ではないけれど、「こういったときに司馬さんならどう言われるだろうか?」ということをずっと考え続けてきた。答えは比較的簡単に見つかる。必ずや膨大な司馬文献の中に書いてあるからだ。

 例えば、己の浮沈にかかわる大きな決断を迫られた時、司馬さんに問うと、関ヶ原で敗北した長曾我部盛親の例を挙げてこう言われる。

「後年、盛親は人間の運をめぐって次のように沈思しますな。自分の運を愛さない者に運は微笑しませんな。女運ばかりではないんですね。男としての人生の運さえも同じことです。盛親は、自分の運の悪さについて、そう考えたと思います」

 そう前置きをして、司馬さんは盛親の口を借りてこう言う。

「おれは、かつて、おれ自身にほれ込んだことがなかった。自分に惚れ込み、自分の才を信じて事を行えば、人の世に不運などあるまい。運は天から与えられるものではない。おれが不運だったとすれば、自分自身に対してさえおれは煮えきったことがなかったせいだろう」

 そうアドバイスされれば、決断をするのに躊躇は要らなかった。皆さんが、ワルシャワを見ていて「こいつ判断が早いな」と思われるとするなら、そういった司馬さんの後押しがあったからですな。

 

 さて、「菜の花忌」なので、「司馬史観」なるものに少し触れたい。基本的にワシャは「司馬史観」に影響を受けている。もちろん、それを30年も勉強してきたのだから当然そうなる。以下については、はるかな高みにいる兄弟子であり師でもあり「司馬学」の権威でもある書誌学者の谷沢永一さんの『司馬遼太郎』(PHP研究所)を参考にさせてもらった。

 司馬史観の根幹の発想は5つある。

1 公式主義必然理論の排斥

2 歴史上の出来事を善か悪かで選り分けようとする裁判史観からの脱却

3 真実の歴史は多くの場合、奇妙な偶然によって左右されることを自覚

4 当事者がいくら知能を絞っても限りがあり、智恵を生かす要素は民族の気概であると感じる視座

5 歴史を動かす要因は経済問題にあると見る観点

 歴史を知りたいと思う人たちが、注意を払うべき要諦がここにある。これを培っていけば、歴史を見誤ることも少なくなるだろうし、己の人生についても大きく逸脱することなく全うすることができるのではないだろうか。

 

【蛇足】

 ある体育委員の話

 

 近所の小学校の6年3組で体育委員をしている吉森朗くん、たまたま学級委員会で失言をしました。「女のくせに~」と、女子の悪口を言ってしまったのです。そうしたら、パナウェーブ研究所の女子児童から抗議されました。その抗議はクラス全体に拡がって、クラス会で吊し上げられました。バケツを持って廊下に立たされているところを写真に撮られて、そのことは学校新聞にも取り上げられたのです。お昼の放送でも放送委員から責められました。そのために大バッシングは全校に拡大し、1年生からも石を投げられる始末。そのことは職員会議にも議題として取り上げられ、校長以下の教職員からも叩きに叩かれました。それで終わりかと思ったら、PTA会長がそのことを聞きつけて、PTAの会合でも非難決議がなされました。このために町内でも白い目で見られたのです。さらに教育委員会からも「体育委員にあるまじき発言だ」と攻撃され、教育長が謝罪したのでした。

  その後、他の小学校からもクレームが付き始めたので、吉森くんは学校を退学しましたとさ。

 これって正常なことなの?