ワシャはエッセイとか随筆というものが好きで、その手のものには目がなく、書店でも古本屋でも見つければ手当たり次第に買っている。
その中でも『日本の名随筆』(作品社)や、日本エッセイスト・クラブ編『ベスト・エッセイ集』(文藝春秋)は、それこそ何十巻と持っている。また、作家個々のものも、『司馬遼太郎が考えたこと』(新潮社)などは全15巻なのだが、なぜか30冊持っている。その他にも吉村昭、池波正太郎、宮城谷昌光などなど小説家から、芸術家、政治家、科学者、教育者まで分野を問わず読み漁っている。
その中で今日は『ベスト・エッセイ集』を取り上げたい。この本、1983年から発行され、2011年まで続いた。全巻を持っているわけではないけれど、プロ・アマ問わず良質なエッセイを収録してき、た割と気に入っているシリーズ本である。
1991年版の中に、「名古屋」と題された連城三紀彦さんのエッセイがある。これが沁みる。連城さん、名古屋の人である。それも名古屋駅の西、いわゆる戦後、風俗街といして名を売った町の一角で生を受けた。だからその町で生きている女たちの描き方がうまい。
《彼女たちは皆底抜けに明るく、笑い声が大きかったのだが、生活の荒れは顔や声に出ていた。昼間でもその酒焼けしたようなくすんだ顔色やそれを誤魔化そうとしたどぎつい色の口紅に夜の匂いが染みついていた。》
そんな身寄りのない夜の女たちが、連城さんの母親を頼りにし、家に出入りしていたので、そこの坊っちゃんである連城さんも可愛がってもらったとのこと。
ある日、そんな女のひとりと銭湯に行った。連城さんは5才くらいだろうか。
《僕の体を洗ってくれながら、「なんか玩具を洗ってるみたいだね」ナミさんはおかしそうに笑った。後になって考えてみると、ナミさんはいつも大人の男の体ばかりを相手にしていたので僕の小さな体が珍しかったのだろう。》
その女性と銭湯の後にラーメン屋に立ち寄る。そこで2人して麺をすすっていると、脇でラーメンを喰っていた男がやおら立ち上がって金をばら撒き出した。連城さんは《競馬か競輪で大きく当てたのでは》と推量している。
他の客たちは苦笑しつつ、愛想をいいながらその札を受け取った。しかしナミさんは札を差し出す男の手を払いのけた。男はしかたなく行き場を失った札を「ボーズ、小遣いだ持ってけ」と連城さんに渡そうとする。
《僕が首をふると、可愛げのない子供だなと言うように僕を睨みつけ、「母親が体なんか売っていると子供は素直に育たないんだな」ここには書けないようなもっと下品な言葉を使って言った。》
これにナミさんは劇的な反撃をする。それも痛快なのだが、しかし、連城さんの家まで連城さんを届けた時に、母親に「この子の母さんに間違えられてね」と言ったのがいい。
《執拗なほどくり返して僕の母にそう言い続けた。ナミさんは母親に間違えられたことが嬉しかったのだし、そんなナミさんを見ていると僕も楽しかった。》
連城さんは、売春婦たちに「たくさんのことを教えてもらった」と言い、「少なくともその時のナミさんは僕にとって誇りというものがいかに大切なものかを教えてくれたのだった」と書いている。
最底辺の女たちに誇りを教えてもらった連城さん。そして最底辺の女たちよりも賤しい市民がいることも同時に知ったのである。
仕事の貴賤ではない、もちろん学歴ですらない。その人の生き様が大切なのである、そんなことを教えてくれたいいエッセイであった。