東大出てもバカはバカ

  SF作家の豊田有恒さんが昨年の9月に上梓された本のタイトルである。この本、とても人気があって、新聞広告を見てすぐさま「e-hon」で注文をしたのだが、受け付けてもらえなかった。それから時期を見てさらに2度発注をかけても、やはり品切れということで断られた。

 すごい人気ですな。いつも偉そうにしている最高学府東京大学の英才たちには、誰しもが僻み妬み恨みつらみが溜まっていて、この手の本の売れ行きを支えているのだろう。

 ワシャだってそうだ。この日記で東大卒の悪口を書いて憂さ晴らしをしている。これが楽しいんですわ(笑)。

 

 でもね「東大に入れない凡夫のルサンチマン」と言うことなかれ。もちろん著者の豊田さんは東京大学ご入学の英才である。だから東大卒と同格で東大を批判してもいいわけだ。とはいえ、東大に入学したが、あまりのくだらなさに悪印象をもち、その後、慶應義塾大学医学部に移っている。しかし、東大に入るための高校時代の猛勉強の反動で、麻雀やハワイアンバンド等に熱中して一度も進級できぬまま留年を繰り返し、放校処分を受けたのだそうな。まぁこれほどの豪傑なら「東大批判本」を出しても許される。

 では、東大の「と」にも縁のない凡夫は文句を言ってはいけないかというと、そうでもない。かつてはクオリティーペーパーとして君臨していた朝日新聞が、今やボコボコのフルボッコ状態で、受験生が書き写していた看板コラムの駄文具合は今さら言うまでもない。虚像だけの権威はいずれ地に落ちるということである。

 それに、東大を出ていなければ東大卒を批判することなかれ・・・ということになったら「東大に非ずんば人に非ず」てなことになるわけで、東大を出ていなくても、東大卒を批評する自由はあるわけだし、そもそも東大が虚像の巨象だったことに、庶民は気が付き始めた。

 実のところ、東大卒でないところに大賢がいることも間違いない。東大卒にもまともな人がいることは当然ですよ。でもね、東大卒ではないところに、大多数の人がいて、その中に一定数の賢人賢者がいる。そのほうが断然に数が多い。つまり賢英な人に東大卒も中卒もないのだ。

 だから、朝日新聞を腐すように、「最高の大学を出た私」というバカな誤解をしている東大卒を批判するのに、なんの躊躇いがあろう。そのことに対して学歴を問うてくるなら、それこそ「東大病に冒されているのだ」と反論してやればいい。

 もちろん東大に入る人たちが、日本でトップの記憶力を持っていることは間違いない。要するに頭がいいということであり、その頭を日本のためにフルに使ってもらえるならこんな有り難いことはない。

 ところがどうしても陥ってしまうのが「東大を出た私」というまことにつまらないプライドでアイデンティティーを造り上げてしまうことである。

 これに染まるともうどうしようもない。そのあたりの愚かなる東大卒を指摘した本が『東大出てもバカはバカ』(飛鳥新社)なのである。個々のバカを取り上げても時間の無駄なので、羅列しておきますね。

 トップはビーチ前川こと援交オヤジの前川喜平氏、セクハラの福田淳一氏(衆議院議員)、鳩山由紀夫氏から薫陶を受けた初鹿明博氏(衆議院議員)、フリンセス・ガソリーヌの異名をもつ山尾志桜里氏(衆議院議員)、ハゲーの豊田真由子氏(元衆議院議員)、複数女性との援交で知事を辞めさせられた米山隆一氏(元新潟県知事)と揃い踏みだ。以下はやや小物が並ぶが、第1章のトリは大村秀章愛知県知事だった(笑)。愛知県民としては悲しい。

 第2章「日本を駄目にした東大卒の識者たち」には鳩山由紀夫氏、福島瑞穂氏、大江健三郎氏、志位和夫氏、白川方明氏などのビッグネームが並ぶ。

 まぁこのあたりが東大バカの横綱大関あたりでしょうね。でもね、ここに名前が出てこない幕内、十両クラスにもとんでもないエセエリートたちがいる。

 ちょこっとあげればノーパンしゃぶしゃぶバカ、交通事故で母子を死にいたらしめたにも関わらず車のせいにしているバカ、起りもしない東海地震を予言して、何千億という無駄な予算をつぎ込ませたバカ。さらに言えば、クソ熱い夏の最中に総務省の寮の冷蔵庫を使用禁止にしたバカ校長とかね(個人的恨みの感想です)。

 もちろん、東大ではない連中にもこんなのはわんさかといるけれど、最高学府東大卒の中にもいるということ。とくに勘違い野郎は東大だけに、著しく多いということです。

 だから東大からエリートコースを歩いた者、高い地位を得た者は、当然のことながら批判されても仕方がないのだ。でなければ身を律して、学のない庶民に後ろ指を指されないようにすればいいだけのことなのだ。バカボンのパパなのだ。

 

 さあて、満を持してオラが県の知事様のことがどんなふうに書かれているが、ちょいとご紹介しましょう(笑)。

《党の方針に唯々諾々と従う人ではないよう》らしい。所属派閥の推薦候補を支持しなかったということで《除名などの処分が噂されたこともある》という。愛知県知事選挙では、自民党県連の推す候補を退けて知事になってしまったことから《除名という重い処分を決定した。こうした経緯を見るだけで、大村が周囲の情勢を忖度しない横柄な自信家だと判る。》と豊田さんは指摘している。

 さらに、それでも関係修復を図ろうと動いた県連には《一顧もせずに他党の女性候補を支援する始末だった。大衆人気はあるものの、唯我独尊で周囲とのバランス感覚には乏しい人らしい》と分析する。

 3選を果たし、抵抗勢力と見えた自民党県連も陰でブツブツ言ってはいるものの、表面だっての反論はしなくなった。ぎこちない笑みを浮かべつつお愛想を言うしかなくなっている。これが「横柄な自信家」の大村知事には快感であろう。他者に対してマウントを取ることでアイデンティティーを満足させてきたエリートには、まさに愛知県政3期目のスタートは我が世の春だったに違いない。

 ところが2019年、「あいちトリエンナーレ」でミソを着けてしまう。その後の、大騒ぎは愛知県民でなくともよくご存じのことであろう。

 ただ「横柄な自信家」は執念深い。己の権力に弓を引いた者、リコール署名をした者を、なんとか洗い出そうと躍起になっているという噂もある。豊田さんの文章を読むと、それもあるなぁと思える。大村知事のキャラクターとしては、執念深いほうが似合っているような気がするから、そのままキャラを通していけばいい。

 蛇足だが、岐阜県知事の古田肇氏が5期目に突入した。今期を全うすれば77歳である。地方自治にジジイの硬い脳味噌がいるかなぁ。それも東大脳だし。武漢ウイルス禍が追い風になったことは間違いないけれど、東大卒であればだいたいの実務はできる(できなかった米山氏もいるけど)。対抗馬の江崎禎英氏も東大卒だから、古田氏のできることはすべてできる。別に東大出なくてもできるんだけどね。

 どうせ東大が知事になるなら、老人よりも若いほうがいい。長期政権よりも新規のほうがおもしろい。だけど堅実な岐阜県民は、古老の知事を選んだ。安心安定で東大だしね(笑)。