絡合とお経と夏目友人帳

 絡合は「絡み合い、もつれ合うこと 物事が互いに関係し合っている具合」ということらしい。

 このことについて(かどうかは定かではないが)、臨済宗松原泰道師が『老いを学ぶ』(社会保険出版社)で、数珠の糸(スートラ)を喩えに出されて、こんなことを言っておられる。

《数珠のひもやレイのひもは表から見えません。表から見えるようになったら、これはもうだいぶ疲れているのです。見えないところで、ひとつひとつをちゃんと貫いてまとめていくものなのです。》

《そのひもは強くなくてはいけませんが、強いだけだとかえって脆いのです。(中略)柔らかくて強いのがもっとも大事だということになるのです。強くて柔らかくて、そして、この硬さ柔らかさがところを得て、ばらばらなものを見えないところで貫いて、一つにまとめていくもの――これがスートラです。》

 昨日、武田先生の言を抜粋した中に、「人体は60兆の細胞からできている。それぞれが独立している。60兆の細胞の連携は神経ではなく、なぜ連携しているのかがよく解らない」ということと「イワシの集合体、大きな敵が襲ってくると、それよりも大きな固まりをつくって対抗する。何千匹というイワシが、どう連絡をつけて、情報交換して統一した行動を取っているのかが解らない」というものを挙げておいた。

 この双方の末尾の「解らない」ということは「見えない」ということで、「人体60兆の細胞をつなぐ糸」、「集合体として回遊するイワシをつなく糸」が見えないけれども、強く柔らかく存在していることを、図らずも武田先生と松原師は言っておられる。

 松原氏の言われる「糸(スートラ)」は=「経」でもある。「法華経」とか「般若心経」の「経」ですね。そして漢字の意味では「経」は「縦糸」のことであり、地球儀の経線の「経」のこと。

 ということから、迷っている一切衆生の本心を悟らしめるように導くのかお経であり、イワシの集団を導くスートラであり、神経細胞をつなぐ糸である。

 これが「絡合」だな。

 さらに言えば、『夏目友人帳』も、実のところ「絡合」に貫かれている。主人公の夏目貴志は人や妖(あやかし)どもと見えない糸でつながっている。それは会ったこともない祖母のレイコとの「絡合」であり、人間である貴志が「あっという間の一生」を完結したあとにも何百年も生きる妖たちの記憶に残る貴志とのつながりである。

「オレにはオレのつながりがあるんです」

 執拗に的場一門入りを進める祓い屋の的場静司に貴志はこう断言している。

 ニャンコ先生は「友人帳をもらうまでの短い間のつきあいさ」と割り切ったようなことをいうが、貴志が亡くなった後も生き続けるニャンコ先生は、貴志との「絡合」を、自身が滅びるまで引きずっていくだろう。

 いやはや、朝の短い時間で、こんなことを考えるのは骨が折れるわい。武田先生、早く「絡合」に関する本を出してくだされ。