日本マンガ全史

 たまたま立ち寄った駅前の本屋さんで、澤村修治『日本マンガ全史』(平凡社新書)を購入した。これがなかなか良かった。読み物としてというより、資料として優れている。まさに日本マンガの歴史が網羅され、マンガとともに過ごしてきた人生を振り返ることができた。

 ちょっと確認してみたんですよ。

 昭和の戦前・戦中は、後年、知識としては知っていたり読んだりしたが、タイムリーに読めるわけもなかった。当たり前だけどね。

 戦後に入って、いわゆるトキワ荘に集った漫画家たちの作品にも間に合っていない。まだワシャは生まれてもいなかったもんね。その後、トキワ荘の中から、いろいろな才能が芽吹き、1963年代に「鉄腕アトム」がテレビアニメになって「マンガ」に気がついたようなことであった。それまでは祖父と一緒に大相撲を観ていたのだった(笑)。

 なにしろ、ワシャの家には「漫画」「マンガ」の類はまったくなく、そういったものは教育熱心だった両親の手によって排除されていた。辛うじて、幼稚園の同級生の家に遊びに行って、「鉄腕アトム」やら「鉄人28号」のマンガを見せてもらうくらいのことだった。この時期、マンガというものは教育の敵のような扱いを受けていて、両親ともに堅物教師だったワシャにはマンガを買ってもらえるという幸運は訪れなかった。

 それでもね、親戚の伯父さんとかが、「少年マガジン」や「少年サンデー」をたま~に買ってくれて、でも週刊誌は連載が多かったでしょ。だから話がブツ切れであんまり面白かったことはなかったなぁ。小学校に入ってから、街中の貸本屋に顔を出すようになって、そこでコミックをこっそりと借りて読み始めて、マンガの魅力に開眼したものである。だから、マンガに関しては、やや晩熟で、けしてしっかりとマンガを読み込んだ子供時代ではなかった。

 それでも、父親が通常の本を購入することには大らかだったので、駅前の本屋さんは、父親の学校にも日常的に営業活動をしていて、読書家だった父親は、ツケで本を届けてもらっていた。だから、ワシャも本屋のカウンターに欲しい本を持ち込んで「お願いしまシュ」と言うと、「ああ、ワルシャワ先生のところのボクね、付けておくのね」と、あっさりと本が購入できた。ただし、マンガを買うことは禁止されていたので、そこは自分の小遣いで買わざるをえなかった。しかし、110円とかの小遣いレベルでは、やっぱり駄菓子屋で舌の色が変わるような菓子を食いたいので、なかなかマンガは買えなかった。

 ところが、1965年に、石森章太郎が『新入門百科 マンガ家入門』(秋田書店)を刊行した。これは、父親から「くれぐれも息子にマンガを売らないで欲しい」と言われていた本屋のオジサンも、この本を差し出すワシャの純真な目を見て「ニヤリ」と笑ったものである。そして伝票に「新入門百科 320円」と記載してくれ、「マンガ家入門」のところは省いてくれた。

 おかげでワシャは、マンガというものに正面から触れることができて、小学校4年の時には、漫画家になることを決意し、石森先生の「東日本漫画研究会」の向うを張って、「中京日本漫画研究会」というのを立ち上げようとした。「中部日本」ではなく「中京日本」というのが素人っぽくてかわいいやね。

 しかし、ガキのやることなので、それほど長く続かず、会員もワシャとワシャの友達が数人程度で、結局、会としてはなんの実績も残さずに雲散霧消した。

 でもね、ワシャのマンガに対する思いは募り、マンガらしきものを毎日毎日書き続けた。

 ちょうどタイムリーには永井豪の『ハレンチ学園』などが登場し、ちょっとエッチな話に小学校の高学年になっていたワシャは夢中になったものである。十兵衛(主人公の女の子)のヌードを描き写したりしたものが、母親に見つかって両親を悩ませたりしたものだったが、ワシャ的には純粋に絵を描きたかっただけのことで、まだまだ色気づくのは何年も後のことであった。

『日本マンガ全史』を繰っていくと、188ページくらいまでは、あまり馴染みのないマンガが多いが、ここらあたりから「火の鳥」「バンパイヤ」「ルパン三世」「子連れ狼」「じゃりんこチエ」なんかが紹介されてくる。しかし、やはり読んでいないマンガのほうが多いなぁ。

 まじめに読んだマンガとしては、大友克洋童夢」「AKIRA」、さいとうたかを「ゴルゴ13」、大和和紀あさきゆめみし」、高橋留美子うる星やつら」、横山光輝「三国志」江口寿史「ストップ!!ひばりくん!」、北条司CATSEYE」、永井豪デビルマン」、武論尊原哲夫北斗の拳」、岩明均寄生獣」、漆原友紀蟲師」、浦沢直樹「PLWTO」、大場つぐみ小畑健「デス・ノート」、浅田次郎ながやす巧壬生義士伝」、奥浩哉「GANTZ」、緑川ゆき夏目友人帳」くらい。

 せいぜい、この作家たちの他の作品をつまみ読みするくらいで、けっして真面目なマンガ読みではなかったようだ。『日本マンガ全史』には、その他にもたくさんのマンガがラインナップされてあるけれど、こうやって記載してみると、ホント読んでないっす。

 少女マンガ系はほぼ全滅で、例えば「夏目友人帳」でも、当初は、主人公の夏目と、脇役の西村や北本などがまったく区別がつかなかったものである。女子にしても夏目レイコと、タキや妖(あやかし)の女たちとの見分けができない。重症だったのだ。ようやく最近、ニャンコ先生の尽力(?)により、なんとなく顔の違いが判るようになってきたくらいです。

 じつはこの本で確認するまでは「ワシャの人生はマンガ漬けだったかも」と思っていたのだが、そんなこともないらしくて、良かった善かった。

 でもね、今は「ニャンコ先生漬け」ならぬ「ニャンコ先生憑け」にはなっているのだった。