重ねて大失態!!

 昨日も朝から忙しく、パソコンの前に座れたのは午後2時だった。そこであわてて以下の日記を書いたんですが、アップする前に次の仕事に出て行ってしまい、原稿はできていたのに更新をしなかったというお粗末(泣)。

 

20201205

「注連縄づくり」

 

 朝も早よから、地元の神社に駆り出されて、注連縄をつくっていた。大小2本、社殿にかける7m超のものと、鳥居にかける5mのもの。

 まずは、倉庫いっぱいに積み上げられたもち米の藁を、社殿前に敷かれたビニールシートの前に移動させる。やはり倉庫から藁をすく道具を引っ張り出してくる。これがけっこう重い木の台の上に五寸釘を逆さに30本くらい櫛状に並べたもので、かなり危険な道具ですな。これに藁を叩きつけるようにして噛ませて、グイッと引っ張ると藁の中のくず藁やゴミが取り除くことができる。これを延々と2時間ぐらい続ける。それが終わると(若干工程は重なるけれど、藁の茎を潰すための藁叩き。これをやっておかないと藁のこしが強過ぎて、注連縄がきれいな曲線を描かない。これも2時間ぐらいやっていると、握力はほぼ失われてしまう。

 それから、本殿前の石柱にゴムのチューブで藁の束を固定して撚っていく。大の大人が7人がかりでこの作業を行う。選り元を確認して方向を決めるリーダーが1人、3人が人の腕ほどの藁を3本、1人1本を撚りながら、さらにその3本を撚っていく。藁は3本をひと撚りするたびに20本くらいの束を噛ませて撚りこんでいく。片側ずつ編むので、都合4回この作業を続けることになる。これが大変でね、下手な撚り方をすると細くなったり太くなったり甘くなったり硬くなったりするので、つねにリーダーが罵声を浴びせながらの作業になる。7人の中にどんくさいヤツが入ると、途端に作業が遅くなり、注連縄が歪んでしまう。大騒ぎをしながら、注連縄2本が完成したのは昼を回っていた。藁クズで散らかった境内を掃除しながら、その藁で焼いた芋を食って、今日の作業は終了となった。ワシャはそれからまた近くの公園でちょっとした確認作業があるのでそちらに回って、今、自宅にもどってパソコンの前に座っている。

 しかしのんびりとはしていられない。夕方に、駅前の図書館ホールでちょっとしたイベントがあって、そのスタッフとして駆り出されている。

 藁だらけの作業着を、スーツに着替えてまた出陣だ。注連縄作業で握力がないのと、筋肉痛は2~3日後に出てくると思う。そんなことも言っていられないので、もうひと頑張りしてくるか。

 

20201205日記終わり。

 

 いやはや、これはちょいと疲れているかもしれない。ここ3週間くらいは勤務時間に換算すると過労死レベルかもね(大丈夫だけど)。

 現役の時だってこんな働き方をしていたのは、「計画」、「イベント」、「災害」関連の仕事をしている時で、その頃はまだ若かったからね。クソジジイになって、こんなに働くとは・・・やばいかも。

 昨日の夕方にもイベントがあった。先週の大きなイベントは大成功だったが、夕べのイベントは大失敗だった。どちらも40代の若者(ワシャから見ての話で)が主催者だった。かたや、ワシャを主要なメンバーに入れてくれて、ワシャの意見にも耳を傾けてくれた。喧々囂々の議論をしながらも、一連の事業化は、楽しい仕事だった。

 かたや夕べのイベントは、講演会だったのだが、主催者の若者が、すべてを仕切りたがり、いろいろなところにまで自己主張をする。口うるさいワシャは主要なメンバーから外された。それはそれでありがたい。しかし、主要なメンバーの中に先輩がいて「ワシャさん、陰で手を貸してくれないか?」と打診されていたので、世話になった先輩の依頼を断るわけにもいかない。気持よく「了」として、主催者ではなく先輩の指示で動くことになった。

 イベント全体は「頭」が悪いと組織はまともに動かない典型的な例だった。「頭」は目立つことと偉ぶることなど、パフォーマンスに終始し、イベント運営にはメンバーに無理難題を押し付けることしかしなかった。結果としてその反発をくらって、集客を150人くらい見込んでいたが、結果の来場者は40人にも満たなかった。定員250人のところに40人はいかにもみすぼらしい。主催者は「コロナ禍にも関わらず多くの方にご来場いただき・・・」とか喚いていたが、現実を全く見ていない主催挨拶に関係者は失笑していた。

 段取りだけは、陰のメンバー(笑)がいたので、滞りなく進み、時間的には若干の延長をしたくらいで午後8時には終了することができた。

 それにしても、最後の盛り上げでオバサンが登場し団扇を手に三三七拍子をやった日には涙が流れましたぞ。

 そんなこんなで、家に帰ったら疲れがドッと出て、そういう疲れというものは酒を飲んでもなかなか癒されないものなんですね。