支那の嘘

 朝、凸凹商事の社外役員室に出社すると、ワシャはラックに並んでいる新聞を読む。「朝日」は、家でざっと目を通しているので、それ以外を確認する。まずは「産經」を寛げる。これは今年度から「毎日」と入れ替えてもらった。「毎日」も偏向報道ぶりが楽しいのだけれど、「朝日」も「中日」もあるので、予算の関係で紙数制限があり「毎日」を排除したものである。その他に「読売」と「日経」がある。

 右からいくと「産經」「読売」「日経」「中日」「朝日」で、取りあえずこの順番で読み流していく。「朝日」ですでに左目が明いているので、「産經」で右目を明けるわけですわ。右と言うと語弊がある。「愛国」「保守」というところだろう。

 今朝、目を引いたのはオピニオン欄に静岡大学教授の楊海英さんが寄稿した《中国が悪用する「チンギスハン」》という論説である。

 要するに、「チンギスハン」は蒙古人であって、その蒙古人が南の穀倉地帯の漢人を攻め、「元」を樹立した。論説の後段がおもしろいので引いておく。

《中国人は、「元朝記は我が国の最も偉かった時代」と夢想する。それに対して文豪魯迅は喝破した。「一番偉かったと思い込んでいる時代は、実際は我々シナ人がモンゴル人の奴隷だった時代」、と25歳の時に日本語の学術書を読んで分かった心情を吐露している。》

 チンギスハンはモンゴル高原で生まれた。モンゴル語を話し、遊牧民として育つ。その頃、アジアの状況は、アラル海の東に「西遼」、その東に「ウイグル」、「吐蕃チベット)」、「西夏」という国が治めている。満洲から華中あたりまでは満州族の「金」がおさえ、漢民族の国家は、揚子江流域から南の平野部をおさえる「南宋」だけだった。漢人から見れば、モンゴルは「西遼」「ウイグル」「金」よりもさらに北方であり、漢人の感覚から言えば、地球のかなたのようなところであり、絶対に自分たちと同一の民族だなんて思ったことなどあるはずがない。

 緯度で言えば「南宋」は北緯20度から30度にあり、日本でいうと奄美群島琉球諸島のあたりである。当時のモンゴルはというと、北緯55度よりも北あたりだと思われる。日本でいうと、樺太の北端ですら55度には達しない。そもそも万里の長城から北は化外の地だったじゃないか。万里の長城から2000キロも北の地から現われた言語も習俗も異なった民族が、中華民族であるわけがない。

 

 う~む、昼の1時間では、ここまでしか書けなかった。もっと他にもおもしろい記事があって、話をつなげられたのに~。残念!