死にまつわる二つの話

 また、危痴害が現われた。豊橋にである。「無差別に人を殺したかった。神になりたかった」んだとさ。やれやれ。

《作業員はね…1人死亡「神になりたかった」》

https://news.yahoo.co.jp/articles/6e3d037f8e54c56a867c661aae335264f6e60b96

 無差別殺人でもなんでもいいけれど、まずはおまえが「神」になってからしてくれ。さっさと神様のもとに旅立って「祟り神」でも「貧乏神」でも好きな神になってくれ。それからこの世に舞い戻って、おまえのやりたいようにやれ。

 しかし、こういうバカは死んでも大した紙にはなれない。せいぜい低級の地縛霊くらいが関の山だろう。

 ワシャの好きな『夏目友人帳』では、妖怪が4段階に分かれている。「ニャンコ先生」は「上級」に属する大妖(おおあやかし)だ。ワシャの好きな柊は「中級」、だいたい人を襲ってくるのは「低級」と相場が決まっている。

 ということは、豊橋のバカ、闇雲に人を襲ったことからも「低級」と言っていいし、死刑になっても「低級」の青蛙から脱するのは難しかろう。

 

《死亡女性が130万円提示 「お金払っても死にたい」》

https://www.jiji.com/jc/article?k=2020072700802&g=soc

 かたやこんな事件もあった。「京都・ALS患者嘱託殺人」である。

ずいぶんと昔の話になるけれども、職場の後輩がALSで亡くなっている。就職してきたときにはすでに発症していて、それでもなんとか歩くことができた。だから、一緒にキャンプにも行った。しかしその後、病状は悪化して車椅子で通勤するようになった。その後、動けなくなり、出勤もできなくなって退職してしまった。その後、彼の訃報が届いた。まだ20代だった。ワシャは傍から見ているだけだったが、それでも大変な病気であることが分かった。後輩もどれほど辛かっただろうと思う。生きていて欲しいとは、当然のことながら思う。それは決まっている。でもね、その苦痛は想像を絶したに違いない。よく闘ったと思う。

おそらく今回亡くなられた女性も同様に、厳しい闘病生活を送っていたことだろう。ALS協会は「人工呼吸器を着けた重症患者でも外出や社会参加ができ、長期に生きられる道が開かれている」と言う。それは結構なことだ。苦痛に耐えても生きていくというのは素晴らしい。

でもね、この女性が「死」を選択したことも、それはそれで尊いことだと思っている。西部邁さんが、自分自身の身体が思うようにならなくなって「自死」を選んだこと、三島由紀夫が観念に殉じた死を遂げたことと同様のものではないだろうか。