ペスト

 昨日、読書会。課題図書は、カミュ『ペスト』(新潮文庫)。会議室は20人利用の部屋を借りて、そこを5人で使う。窓を開け、入り口もオープンにして、ソーシャルディスタンスをしっかりととっての読書会である。マスクを着けて補水する時以外は外さない。顔の辺りが熱いんだけどね(笑)。徹底して対策を採りましたぞ。

 施設の5階で窓を開けていたので、読書会の途中で珍客の来訪も受けた。雀が飛び込んできたのだ。パタパタパタパタと会議室内を雀が飛び回るものだから、当然のことながら読書会などやってられまへん。中断して、雀の追い出しをするメンバーたちなのでした。

 され、『ペスト』である。一様に「読み難かった」という感想だった。「登場人物が多く誰が誰なのか途中でわからなくなってしまう」とメンバーのひとりが言う。それに他の人も同調する。確かにワシャもそこが問題だと思う。だいたい横文字の文学は、名前で混乱する。でもね、リウー、ミッシェル、オトン、ランベール、タルー、メルシエ、パヌルー、グラン、コタール、リシャール、カステルなどなど、登場人物が数多いるんだけど、カタカナなので文字自体が意味を持たない。

 漢字があれば、鬼塚は怖そうなコーチであるとか、麗子は美人であるとか、綾小路は華族の軟弱なお坊ちゃんとか、字面で覚える、イメージできるってことありますよね。でも、リウー、タルー、パヌルーって聞いても、なんの想像力も働きませんぞ。

 だからワシャは、本を読みながら傍らにメモを置いて、登場人物を書き出すことにしている。

「ベルナール・リウー 医師」

「ジャン・タルー 若い男、イスパニア人」

「パヌルー 神父」

 という感じでね。そうすると、物語が進行していっても、登場人物で混乱することがないからね。

 

 さて、『ペスト』のことである。

 ワシャが感じたのは、1940年代、地中海に面したオランという都市で起きたペスト禍への対応が、1300年代中期にに全ヨーロッパ、中東、アジアを襲ったペスト禍、1600年代にやはり全欧に蔓延したペスト禍からちっとも対策が進歩していないということであった。

 そして恐るべきは、科学の最先端にいると信じてやまない現代までもが、中世ヨーロッパのペスト禍の時と大差のない対応しかしていないことである。国家が、あるいは東京が、採っている対策が中世のペスト対応からさほど進んでいないことを憂う。

 

 読書会を終えて、遅い夕食をとるために駅前の居酒屋に行く。いつもは賑わっている人気店に、ワシャらを含めて客が5人しかいなかった。店のホームページに依れば118席がある。そこに5人でっせ。これは壊滅的と言っていい。

 掘りごたつ形式の個室に案内されたが、入り口も周囲の仕切りも全開にして使わせてもらった。だって、カウンターで1人食事をする人以外、お客がいないんだもんね。ここでもソーシャルディスタンスを取りながら、皿はめいめいで、箸も取り箸を別に用意してもらってと、気をつかっての食事となった。

 

 いつまでこういった生活が続くのか解らないけれども、こんなことを続けていくと経済に与える影響は甚大なものになるだろう。それに加えてワシャらのストレスも溜まっていくばかりであった。やれやれ。