地域の危機―大ネタ・小ネタ―

 7月12日の日記

https://warusyawa.hateblo.jp/entry/2020/07/12/093759

に、ちょいと書いたけど、東京社会科学研究所の出している「危機対応学」の書籍『地域の危機・釜石の対応』(東京大学出版会)を昨日入手した。6月30日に出版されたばかりの本で、まだ湯気が出ている。それを今、読み始めている。これは12日にも書いてあるんだけど、朝日新聞の1面に毎日出ている「折々のことば」で紹介されていたのである。

「人口が減っても、地域は簡単になくならない。だが、小ネタが尽きると、あっというまに地域は衰退する」

 この「小ネタ」という日常語で地域再生を語るというのは、ワシャは初めてだった。だから言葉の真意を量りたくて本を求めた。

 詳細なまとめはもう少し読み込んでからにするが、今日のところはざっと気になったところを抜粋しておく。引用する場合は《 》を使用し、基本的に一言一句正確に引くことをモットーとしているが、以下の引用は、文意が変らない程度に若干の省略や修正が入っていることを前置きしておく。

 

 まずは巻頭の章から。

《地方における危機の構造は個性的である。主要産業の違い、地形の違い、大都市からの距離などといった要素によって危機のあり方が異なる。》

 それはそうなのだが、危機感を持っていない首長は、横並び、周辺市と足並みを揃えているかどうかばかりを考えている。このため、よその自治体の事案をそのまま自分の自治体に当てはめ事業化しようとする首長が見受けられる。これはこの指摘からも分かるように、すべての自治体が違うのだから、独自性を打ち出すことこそが重要。しかしそこのところを意識している首長がどれほどいるのか。

 

《地方の危機は、人口減少のように緩やかに進む「慢性的な危機」、中核産業の衰退のように「段階的」に進む「危機」、自然災害や戦災のように「突発的な危機」といった多層構造を持っている点は共通している。》

 地域を襲う危機は多層構造化している。しかし、多くの自治体では昭和に作ったような防災計画を抱いて、危機管理室に詰めかけてワイワイガヤガヤと対策会議をやっているのが現実ですな。発生した「危機」を一面の事象だけで捉えるのではなく、多岐にわたった検証を進めるべきであろう。これについては、縦割りで直面した仕事をこなしていくことに高い能力を持っている自治体という機関には、やや荷が勝ちすぎると思う。

 こういった時のために、ルーティンな仕事は得手としないけれど、危機に際しては高い能力を発揮するという類の職員が必ずいるものである。そういった素質を見抜いておいて、危機対応に当たらせることが大切だろう。

 

 以下は、巻末の章である。

《地域には、突発的なもの、段階的なもの、慢性的なものなど、多層な危機が併存している。これらに危機群に対し、一面的もしくは一義的な取り組みだけでは不十分であり、ときにはそれが新たな困難を生む。》

「突発的」「段階的」「慢性的」「多層」といったような文言は共通している。つまり、これが危機対応のキーワードということになる。

 

《では、どんな対応が求められるのか。一挙に問題を解決する抜本的な対策を声高に叫んだところで、絵に描いた餅にすぎない。必要なことは、ある程度時間を要したとしても、丁寧に課題を解きほぐし、多くの納得と共感を得つつ、未来に着実に繋いでいくための実践的な手がかりである。》

 

《「人口が減っても、地域は簡単になくならない。だが、小ネタが尽きると、あっというまに地域は衰退する」。

 言い換えれば、小ネタが豊富にある限り、地域は持続する。小ネタこそ、衰退という危機を回避し、未来を創造する要素である。》

 この部分が朝日新聞の「折々のことば」に登場したわけだ。

 さて、「小ネタ」とはなんぞや。

《小ネタをひとまず「ちょっとしたきっかけ(材料・仕掛け)と、そこから生まれつつあるささやかな兆し(証拠)」と定義しておきたい。それは、誰もが扱おうと思えば扱える小さな話題である。》

 以前に地方自治に精通した総務省の官僚と話をしたことがあった。たまたまワシャの街で「小ネタ」を、単に通り過ぎていっただけの旅人を、ネタにして適当な事業をやりたいと持ちかけた。

 しかし、官僚は「ストーリーが見えない。全体像が明確ではない。結果が期待できない」と難色を示したのである。

 このことについては、『地域の危機・釜石の対応』の中でも同様な指摘がされていた。やはりあの官僚の言に反して、事業展開をしてよかったんですね(笑)。

官僚の言っている、ストーリーがあって、全体像が明確で、結果が期待できる「大ネタ」、つまり実行に地と出と時間と経費が相当かかる「小ネタ」の対極にある「大ネタ」についてこう言っている。

《大ネタを最後までやり遂げられても、大ネタには明確なオチが不可欠である。大規模な事業計画には期限があり、終わりがある。幕が下りてしまうと、それまでの熱気はあっという間に記憶の彼方に遠のく。活性化を取り戻そうとふたたび夢を見れば、新しい大ネタを求めざるを得ない。結局、行政は一時の盛り上がりのため、大掛かりな苦労を延々と続けることになる。》

 

 どんな種類の危機であろうと、小ネタの蓄積があれば、これにまさる対策はない。小ネタの継続こそ力なり。取りあえず1日でペラペラと眺めたところでは、こんなところだった。なかなかおもしろい内容だったので、また時間をつくって真剣に読まなければいけないと思っている。