昨日、仕事帰りに近くのブックオフに寄った。そこで何冊かの本を買う。その中の1冊が『そばと私』(文春文庫)だった。季刊誌の「新そば」に掲載された著名人のエッセイである。ラインナップを紹介しますね。
※面倒くさい人は「豪華でしょ」まですっ飛ばしてくだされ。
江戸英雄
篠田桃紅
森田たま
豪華でしょ。これだけの有名人と時空を超えて蕎麦談議ができるなんて、読書って素晴らしいですね。
さて、ワルシャワはどの順番で呼んだでしょうか?
このラインナップで、ワシャはまず「ギリヤーク尼ヶ崎」からいきましたぞ。以前、この大道芸人と新宿の西口で遭遇した。カルチャーショックを受けたことを覚えている。20年くらい前だったと記憶しているが、このエッセイも平成6年だそうだから、ちょうど時期的に近いのでさらに興味がわく。
エッセイでは、上野公園の桜を背景に赤ふんどし一丁で「じょんがら節」を舞っていた。凄いインパクトだったでしょうね。踊り終えて、御捻りをかき集め、ギリヤーク尼ヶ崎は、公園下のそば屋に入ったそうな。そこで「もりそば」と「ビール」を注文している。
《踊ったあとでは、まずはビールで乾杯 酔うほどに すきっ腹に、もりそばを食べる 今度は、そばが私のお腹の中で 踊る番だ 実に楽しい》
と、締めている。ホントに楽しそうだ。
次に読んだのが、立川談志ですね。やっぱり談志師匠の蕎麦談議をお聴きしなくっちゃぁいけねえや。
《こら、そばを途中で喰いちぎる奴があるか、汁の中にそばを落として、かきまぜる奴があるかよォ、たっぷりそんなにつゆをつけるな、ドヂな奴めッ》
《残すんぢやァないよ、そばを残すベラ棒があるか。ライスカレーはどう食ってもいいが、そばはちゃんとイキに喰え》
談志師匠、締めてこう言う。
《そばって奴ァ、イキなんだよ、イキがって喰うもんなんだよ――》
3番目は、やっぱり歌舞伎ファンとして外せない二代目の尾上松緑丈。歌舞伎の黄金時代を支えた盟友である。長男が市川團十郎(11)、次男が松本幸四郎(8)、その三男坊が松緑である。小説『きのね』の時代でヤンス。
このエッセイでそばにまつわる弟子とのエピソードが紹介されているが、これがおもしろい。
「おい入谷のそば屋はまだか聞いてくれ」
「あのー、うちのそば屋は入谷じゃなくて藪ですが・・・」
「いや、そうじゃないんだ。国立劇場に電話して聞いておくれ」
「あのー、国立は入谷じゃなくて、長寿庵だそうですが・・・」
よく分からないやりとりがあって、ついに松緑は自分で電話をしたそうだ。
解説をすると、「入谷のそば屋」というのは、「三千歳・直侍」という話の符丁で、その勉強会が国立劇場であって、その指導を松緑が頼まれていた。
「おい、三千歳・直侍の指導はまだか、国立劇場に電話して聞いてくれ」
と、松緑は言っている。ちょっと略し過ぎのような気がしないでもないけどね。そして楽しい話をこう締めくくっている。
《おそばと私の関わり合いを思いつくまま書いて参りましたが、つるるっと一息に吸い込むそばに、歯当りに、江戸っ子の心意気をお感じ頂けれたら何よりかと存じます。》
音羽屋!
4番目に読んだというわけではないのだけれど、日本銀行総裁の黒田東彦(はるひこ)氏のエッセイもある。大して期待していなかったんですが、やっぱりその通りで、文章も肩書で書いているような堅苦しさ、味気なさが際立っている。そばを喰っているというより、乾麺をぼりぼり喰わされているような印象ですな。
のっけに支那人の「机以外は何でも喰う」を出してくる。いかにも在り来たりの書き出しだ。それから蕎麦の解説に移る。このあたりも官僚然としていて笑える。薀蓄を垂れているのだが、蕎麦通ならそんなことは知っているよくらいの話ですな。
後段に自分自身のエピソードとして「インドシナ半島での蕎麦栽培」を出してくる。このあたりまでの構成もまさに教科書どおりと言っていい。
そして最後に「日本人が食べる蕎麦の85%を輸入に頼っており、その9割が支那産」だと書いている。おひおひ、支那産の蕎麦なんていわれたらせっかくの蕎麦が不味くなるってぇの。季刊「新そば」のエッセイで蕎麦の味を落してどうするうのさ。ホント、官僚って空気が読めないからね。
というのも含めて、楽しい一冊だった。読書ってありがたい。