ほぼ何も言っていない

 大村愛知県知事が、東京での感染者の増加を受けて、6日の記者会見でこう言っている。

「大変憂慮すべき状況だが、一律に(県民が東京へ移動することの)自粛を申し上げる段階ではない。一日も早く日常生活を戻すことが必要。不要不急の行動は控えてほしいが、適切に行動して頂きたい」

 なんのこっちゃ。

「大変憂慮」しているが「自分の責任を問われる自粛はしない」。「日常生活を戻す必要性は感じている」が「不要不急の行動は控えてほしい」。結論としては「県民がそれぞれ適切に行動してくれ」と言っている。要は「自己責任で適当に」ということか。

 ツイッターのほうも、相変わらず「感染防止に全力で取り組みます」「新しい生活様式の実践をお願いします」「適切に行動して頂きますとともに、感染防止対策に取り組んで頂きますようお願い申し上げます」と毎回繰り返すだけ。具体的なことを言わない、書かないということでは知事の中でも突出しているのではないか。

 最近、知事の中では「写真を撮るときだけ、マスクをとりました」と訪問者との記念撮影に添えるのが流行のようだ。

 知事は自分の行動を頻繁にツイートすることで、「一所懸命に働いていますよ」アピールをしたいのだろうが、そんなもの中日新聞の「知事の一日」を見れば分かることで、忙しい知事がいちいちスマホで「動向」を打ち込む必要などない。それこそそんな時間があるのなら仕事に集中してくれということだわさ。

 

 高須克弥先生が県議会に提出した「大村知事の不信任を求めた請願」は不採択になった。このことに高須先生は「愛知県議会の議員さん達はこれらの反日プロパガンダが県民の税金を使って展示されているのを理解されていないのか?」と憤慨されていた。

 おそらく県議たちは、理解している。中には本当に阿呆で理解不能なヤツもいるけれど、保守でまともな思考を多少でも持っている議員なら、高須先生の主張が正しいことを薄々感じてはいる。

 でもね、とくに議会というような旧態依然とした集団に多いことなのだが、「同調圧力」というものがあって、これにはなかなか逆らえない。愛知県議会にも知事与党を形成している集団があって、議会運営委員会などその最たるものだろう。知事与党の重鎮たちが睨みを効かせている議会で、高須先生への賛意は唱えられないのが現実であろう。

 それでも「間違い」を糺していかなければ愛知県はよくなっていかないのだけれど、なにしろ「政治」という世界は昭和のままで、相変わらず年功序列の縦社会が通用する不可思議なところなのである。こういった世界では「個性」はつぶされ「右へ倣え」が尊重される。おそらく北海道から沖縄まで津々浦々、国会まで含めてこの「悪しき伝統芸」が蔓延していることだけは間違いない。ここに日本の政治は二流といわれる根本原因があるといっても過言ではない。