絶対にダメだ!

《日本、中国批判声明に参加拒否 香港安全法巡り、欧米は失望も》

https://news.yahoo.co.jp/articles/e1dfcf36d1bbd64a8d7ba8a47eb7cd7b35292aa1

 日本の指導者たちの政治感覚を疑う。なぜこの時期に毅然とした態度がとれないのか!まぁ親中派と呼ばれる獅子身中の虫を無視できないんだろうね。二階をはじめとした中国共産党様様の自民党国会議員。伊藤忠を核とした支那中国べったりの経済界。そしてそれらに押し流されている安倍首相(泣)。

 香港への国家安全法制の導入には、自由と民主主義を掲げる「自由民主党」がまず反対の狼煙を上げなければどこが上げるというのか。申し訳ないが、自由民主党は末端までダブルスタンダードというか二枚舌というか、それが政治だと思っていないだろうか。

 こちらにもいい顔をして、あちらにもそれなりの体裁を取り繕う。そんな20世紀のやり方がどこまで通用するのだろうか。若干、選挙制度による弊害もあるので、全否定はできないけれど、今こそ毅然とすべきときではないだろうか。

 

 夕べのNHK大河の「麒麟がくる」が酷かった。

 物語は前半のヤマ場と言っていい「桶狭間」である。ワシャは地元なので何度も足を運んでいる。周辺の丸根砦、鷲津砦、鳴海城、善照寺砦なども歩いた。だからだいたいの桶狭間周辺の地理には精通しているつもりである。地理、風景については、まぁそんなものだろう。どこかの里山でのロケで、当たらずといえども遠からず、戦国時代の桶狭間でもそんな景色だったろう。

 しかし、絶対におかしいのが天気だった。織田信長今川義元に勝てたのは、その時に桶狭間一帯に豪雨があったからである。だから小勢の信長が、局地戦に持ち込んで、義元の本陣を奇襲することができた。それが昨日の桶狭間は快晴だった。歴史を知らぬ子供たちがあれを見たら「桶狭間は晴れていた」と記憶してしまうではないか。畢竟、桶狭間は雨でなければならぬ。

 そして、桶狭間に出陣する信長が帰蝶(本妻)に吉乃(側室)の子供を紹介する。とても申し訳なさそうにである。そして帰蝶も不満顔でその事実を聞いている。

 そんなわけなからろう。子供がいなければ家が途絶えるのだ。だからあの時代には、地位ある男は後継者をつくらなければならなかった。ゆえの側室であり、子を産んでこその側室だった。つまり織田家にとってはこの上ない吉報であり、本妻はそのことを心から喜ばなければならない。

 戦国時代は男女同権でも、一夫一婦制でもなかった。そういう時代であったことを、正確に伝えずして歴史は成り立たない。静岡大学の小和田先生が時代考証をしておられるということだが、このあたりはきっちりと整理しておいていただかないと・・・。