休日もなんやかや

 昨日、地元の神社で初午(はつうま)の神事が執り行われた。ワシャも関係者ということで神前に額づいていたのじゃ。「初午」といっても知らない人もあるかもしれない。だからちょこっと説明しておきますね。

 広辞苑に依れば、「二月の初の午の日。京都の伏見稲荷大社の神が降りた日がこの日であったといい、全国で稲荷社を祭る。」ということ。京都の伏見稲荷の神様は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)で、素戔嗚尊(すさのおのみこと)と神大市比売(かむおおいちひめ)の子であるらしい。そして一般的には女神と考えられている。この神様がお出ましになったのが神話時代の昨日だったのだ。稲荷社にとっては重要な日で、その「初午」が午前11時に祝詞(のりと)が始まった。

「かけまくもかしこき稲荷の大神の大前にかしこみかしこみもうさく・・・」

 ワシャは基本的に祝詞とかお経が嫌いではない。なんだかよく解かりませんよ(笑)。でも、節回しとか朗々とした声が有り難いではあ~りませんか。とくに祝詞のほうは、和語なので時おり解かる単語が出てくるから親しみを感じる。「稲荷の大神」とか「大前」とかね。

 神事が滞りなく済み、一度家に戻った。午後からも出かけなければならないので、着替えをして簡単に昼食をとり・・・などと思っていた。冷蔵庫を見ると、う~む、我家の冷蔵庫はきれいなものですな。すっからかんでなにも入っていない。乾物の入れてある棚を確認すると、カップ麺がいくつかあったので、時間もないから「これでしのいでおくか」と日清の「UFO」を選んで湯を注いだ。

 その時、玄関のベルが鳴った。

 玄関を開けると、近所のオバサンが立っている。何かというと、このオバサンの息子が、まぁ「偉い人」で、その人の仕事に協力してほしいと言いに来たのだ。詳しい話はできないけれど、ワシャが昨年の春から別の仕事を始めていて、その関わりで付き合うことになった人なんだけど、今ひとつ方向性ややり方に違いを感じていて、少し距離をおいてお付き合いをしようと思っている。その母親が、近所ということもあって、ワシャのスタイルに文句を言いに来たのである。普通、社会的に地位のある人間の親がしゃしゃり出てくるかね(呆)。オバサンは20分程、ワシャの家の玄関に居座った。そしてワシャのことを「変わり者」だとか「リベラル」だとか決め付けてくる。確かに、「変わり者」という点では自覚があるし、限定的ではあるが土地の共有制などを主張しているところは「左翼」なのかもしれぬ。だから否定はしなかったけどね。

「うちの息子は頑張っている」。しかし面前にいる変わり者は、なにしろ「協力的ではない」とかいろいろと仰っておられた。

 最終的には、本人の携帯が鳴って、それを機に帰って行ったのだが、すべてはご自分の都合だけで、まくし立てていった。20分は「UFO」をダランダランにするには十分な時間だった。二十分な時間だった。そんなふやけた歯ごたえのないものを食えますかいな。食ったけど(泣)。

 その後、所用で岡崎に出かけて、再度帰宅したのは午後6時頃だった。

 昼食時のオバサンの襲撃以外、平穏な一日だった。