堂々と旗を振る

 ネットで配信されている「深層深入り虎ノ門ニュース」でジャーナリストの有本香さんが朝日新聞111日の社説のことをボロクソに取り上げていた。

 いかん、ワシャは111日の朝日の社説を読んでいなかった。そんなに楽しい社説があったとは・・・。読んでいれば、悪口雑言をその日の日記に書いたのだが、その日は、忙しくて紙面を丁寧に確認していない。迂闊だった。

 そこで、新聞を探したのだが、一昨日に廃品回収があって、その時に出してしまっていた。普通は1ヶ月くらいは取ってあるんだけどね(泣)。仕方がないので、駅前の図書館に行って、コピーしてきましたがな(泣)。

 

 いやー、すごい社説だ。さすが売国朝日新聞の面目躍如だった。論旨が完全に反日韓国大応援の駄文である。題は「東京五輪の年に 旗を振る、って何だろう」である。

 内容は無いよう。でも、いかにもな部分を抜粋しておく。

《「日の丸」に対しても、複雑な感情を抱く人がいる。戦後75年が過ぎても、そうした人々から見れば、日の丸を掲げる行為そのものが、侵略戦争の暗い記憶を呼び起こすものにほかならない。》

「日の丸」に対しても、複雑な感情を抱く人がいる。それは確かだ。しかし、75年前以前の「戦争の暗い記憶」に起因するものではない。

 考えてくだされ。朝鮮半島では戦争はなかった。どの都市も爆撃を受けていない。おそらく小学生くらいであれば、生活は苦しかったが戦争の悲惨さというものは体験していないはずだ。とすると、現在85歳以下の韓国人は、「戦争の暗い記憶」がそもそもないんですよ。沖縄であったり、B29に街を焼き尽くされた本土では「戦争の暗い記憶」を残している人がいるだろう。しかし、朝鮮半島では有り得ない。なにもなかったのだから。

 では、彼の地の人々は何に「複雑な感情を抱く」のか?それは「劣等感」であろう。江戸期まで、日本を蛮夷の地と見下してきた。実は6世紀に支那冊封体制から脱した日本は、朝鮮半島の民族とは違って格別の発展を遂げてきた。しかし、朝鮮半島の民族は、その後も支那宗主国と奉って、自らは属国とはいえ小中華をつねに意識して、支那の模倣に努めた。

 東の海の中にある蛮族など何するものぞと、意識の上では常に勝っていると確信していたのである。ファンタジーを千年にわたって抱き続けた。ところが、16世紀末に、襲来した蛮族にはあっけなく蹴散らされ、19世紀になると、南からやってきた蛮族や、北から降りてきた狄族に国土を蹂躙される危機に見まわれる。

 そこで登場したのが、自分たちより格下と信じてやまない日本だった。日本は明治に入って国力を高め、朝鮮の宗主国である清に勝って、生意気にも手を差し伸べてきた。

 それが許せないのである。自分たちのほうが上等な人間であり、日本は儒学もままならない野蛮な民族なのだ。第二次世界大戦の記憶などないのに、「日本」を憎んで憎んで憎みきらないと、自分たちの千年のアイデンティティが否定されてしまうのである。「日の丸」を掲げる行為そのものが、千年の怨念を呼び覚ますのである。朝日の社説、根本的なところから狂っている。

《昨年のラグビーW杯の観客席でも一部で旭日旗が振られた。わざわざ国際競技の場に持ち込む人の目的は何だろう。快く思わない人たちがいることがわかっている旗を意図的に振る行為に「政治的主張」はないといえるのだろうか。》

 韓国では、「東京五輪旭日旗を振るのを禁止すべき」という声が上がっている。前述したように、「旭日旗」は「日の丸」に準じる日本を代表する旗である。これを、韓国人のファンタジーで振ることさえ許されないとしたら、日本人の旗を振る自由はどこに行ってしまったのだろう。

 

 韓国には旭日旗に蹂躙された歴史などない。併合された時代が屈辱だというなら、それは「旭日旗」ではなくむしろ「日の丸」に対してだろう。しかし、「日の丸」に対して「複雑な感情を抱く」と、これこそ日韓の決定的な決裂になってしまうので、「旭日旗」にしておこうというのはゆすりたかりの技術的な話でしかない。

 

 そんな韓国の肩を一方的に持っているのが、朝日新聞紙の社説ということである。読んで不愉快になる人は、まともな人である。

 そして、五輪では堂々と「旭日旗」も振って、日本選手を応援しよう。なにしろ朝日新聞と逆のことをやると、正しい行いになるという皮肉な結果が出まくっているからね。