策士策に溺れる

 凸凹商事の話ですよ。

 ある事業部門の採算性が悪いと、財務から責められて、業務の縮小を余儀なくされた。担当の部局にしてみれば、ずっと進めてきた事業だったし、クライアントとも真剣にやりとりをしてきただけに、後退もしくは撤退にも近い判断は不本意だった。どうやらテンノーと言われていた前の重役の影響があったとも噂されているが、その真相はワシャにはわからない。

 テンノーは策士を自認していた。自分以外の幹部は「バカばっかり」と公言して憚らなかった。しかしその人からバカと呼ばれていた顔ぶれを見ると、なかなかしっかりした骨のある社員が多かったことも確かだ。

 策士は、強い人事権を有していた。そして自分の派閥のメンバーを登用した。実際には登用していなかったのかも知れないが、派閥の宴席で「このメンバーで会社をやっていく」というようなことを言ってしまった。それが実しやかに広まっている。そして人事の結果があからさまに派閥のメンバーを優遇している(ように見える)ので、反発を生んだのである。もう少し印象を薄めておくか、「バカばっかり」とか「このメンバーで」とか言わなければよかったのにね。

 吉田松陰だったと思うけれど「策を弄する時は顔に出してはいけない」というようなことを言っていた。本当の策士は、泣いて馬謖(ばしょく)を斬るのではなく、もちろん怒り狂って馬謖(ばしょく)を斬るのでもなく、笑顔で馬謖を引き寄せて斬る、やるならそのくらいの策士にならなければだめだ。策士は会社を引っ掻き回して退職していった。

 先日、策士の一番弟子と目される役員と、バカ(干された側)の代表みたいな男が、大きな会議で、差しで「対局」をしたそうな。いやいや、なかなか、緊張の一局が繰り広げられたそうな。

 結局のところ、事業は復活するところとなり、策士の弄した策は潰えることとなる。事業課は安堵したという。

 対局後、一番弟子が干され男を訪門したという。開口一番「まいりました。あそこまで先手を打たれるとは・・・私の力量では及びませんでした」と素直に負けを認めた。おそらく一番弟子は、この負けでテンノー策士の影響から離れていくのではないだろうか。

 人が代われば時代は変わる。後々に「策士策に溺れた」などと言われないようにしなければいけない。これは自戒の意味も込めて。